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●2005, NO.14

ジョンP.クレッツマン、ノースウェスタン大学『コミュニティーの場としての公園』
オースティン1996年 都市公園機構年次総会用刊行物より
シカゴのウエストサイドに、15年の間に礼拝する人が35人にまで減ってしまった小さな教会があり、教会を閉鎖したものか存続させるべきかで悩んでいた。そして6ヶ月に渡って考え、祈り、戦略を立てながら、一つの結論に至った。それは、コミュニティーを作り出すための効果的な方法を導き出せた場合のみ、存続させようというものであった。
彼らは周囲を見回して「我々には何があるのだろう?どんな手法が取れるのだろう?」と考えた。地下に集まった35人はお互いを見つめるだけだった。「この場所があれば何かを始められるのではないか?」彼らが座っているのは抵当権のついていない教会の建物だった。その建物を担保に金を借り、その資金を使って、壊れかけて放置され、ネズミが巣食うような三階建てのアパートを購入したのだった。それから6ヶ月間、35人は老若男女全員で、日曜日の午後になると大工仕事に従事し、壁に石を積み塗装や配管を施し、修繕の必要な部分の処置をしてアパートを生き返らせたのである。6ヶ月後には、それをシカゴのガーフィールド公園西部地区で一番見栄えのいいビルに蘇らせた。そして彼らはそこを売り、次の物件で同じことを施し、その後15年間それをやり続けた。現在彼らは35人だけの小さな教会ではなく、年間収益1千万ドルを上げるコミュニティー開発会社となっている。ただならぬ努力の賜物であるが、彼らが新たに建てたり改装した低価格住宅は1000戸以上にのぼる。それらの住戸がなければ集まらなかったであろう500人の人々は、みな職に就き、以前の教会は日曜礼拝には入りきれないほどの人が来るようになっている。今では3つの礼拝場があり、はるかに多くの人々を収容している。
これは何を意味するのであろうか? 我々は成功事例の聴取に一段落をつけると、また次の質問を始めるのであった。
上手く行っていない隣町は、何が原因だったのだろう?
ロックスベリーは、なぜゴミためのように成り果てたのだろう?
なぜサウスブロンクスは、崩壊した都市の象徴となってしまったのだろう?
答を伝える前に、これには数多くの説明があり、また非常に複雑な問題であると前置きしておきたい。原因が何であったかを説明する答えを聞くときに、経済状態のことについてよく耳にする。何で悪くなってしまったのか?と問いかければ、景気が悪いからだ、という答えが必ずといっていいほどよく返ってくる。我々の故郷であるシカゴにしても産業失業者の総数は30万人を数える。確かにこれは実に大きな数字である。しかし、経済状態は毎日、毎週、毎月変わり続けるものである。自主管理に成功しているコミュニティーの多くは、自分たちの置かれた状態を一般の経済状態とは切り離し、無関係であると考えている。そして、私個人的には、通常はその役割が認識されづらいものである公園というものの存在が、極めて重要であると考えている。
同じように人種差別が原因であるという声も良く聞く。しかしここでも、多様な文化を称えあい、コミュニティー創設を前向きに考えさせ、同じ都市に住む人々の歴史や能力などを引き出し開花させるという意味で、アメリカ社会で成功に縁のない人々が存在する現状に対して公園の果たす役割は極めて大きいと考えている。
私の心には、1つの教訓がずっと引っかかっている。それは2、3年前に80代前半であの世に召された、1人のアフリカ系アメリカ人女性が明らかにしてくれた教えだった。9年ほど前、そのジョンソン婦人と私は、彼女の家のフロントポーチに座っていた。彼女が、「公園が再び生活の一部になり、家も建て、若者たちがコミュニティーライフに関わるようになってくれ、就職の機会にも恵まれるようになった」などの成功事例について語ってくれた後、しばらくしてから、私はこう質問をした。「あなたは生涯どこにも行かず、ずっとこの町で暮らしてきたわけですが、何か上手く行かなかったことはありませんか?」と。これまでに景気や人種差別、投資資金の引き上げなどについて答えてくれたことはあったが、今回、彼女は違うことを言った。私たちのコミュニティーにふりかかった最も厄介な事態は、「牢獄に入れられたことだ」と。牢獄といっても、トゲのあるベッドや檻に囲まれた実際の牢獄のことではなく、他の人々がこのコミュニティーに住んでいる人々について持っている偏見のことなのだ、と。
私は詳しい説明を求めた。彼女が言ったのは、「私はニューヨークの他のどの場所にも行くことは出来ない。マンハッタンのダウンタウンにも行けやしない。もちろん、ニュージャージーのウエストチェスターやコネチカットなんていう郊外にだって住むことなんかできない。私は自分のコミュニティーのことを話しているんだ。私が自分の名を名乗り、サウスブロンクス出身だと紹介を始めるやいなや、人々が何を考えているかがわかってしまう。一連のイメージが彼らの頭をよぎり、考え方を占領してしまうんだ。それは一様に同じイメージであり、また強烈なイメージでもあり、もう他のイメージなど入り込む隙間もないほどに強いものなんだ。」
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