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●2005, NO.10

花形建築家たちは、とてつもなく大きな仕事を成し遂げてはいるが、
公共スペースは市民のためのものだということを往々にして忘れている
情報源:by フレッド・ケント>(c)projects for public spaces newsletter "making places" 掲載日2005.9.9
「場所を創出する−Making Places」というこの編集は、世界中の素晴しい場所を紹介するものではあるが、同時にあまりに過大評価を受けている場所も併せて紹介してみたいと思う。現代建築の傑作という評価をされていながら、実は公共空間としての機能を全く無視しているいくつかの例がある。外観上は賞賛される建築物として、わくわくするような造形物なのだが、実際には人々が利用しやすい場所ではないという点で、明らかに過大評価されているのである。21世紀の建築の見本であると賞賛されている陰にある、負の側面についても注意を払うことは、重要なことである。公共空間や商業スペースを如何にデザインするかということに関して、大幅な後退となっているという事実に警鐘を鳴らし、公共空間設計の基準を、できるだけ高く設定し、それを満たしていないものについては、指摘し、訴えるべきであると考える。
1.グッゲンハイム・ビルバオ−スペイン

モニュメントのような黒く開口部のない壁は、グッゲン
ハイム・ビルバオの周囲にデッドゾーンを作っている
過大評価をされているものの一つとして、まず最初に挙げるのはグッゲンハイム・ビルバオである。フランク・ゲーリーのデザインにより、近年で最も賞賛されているものの一つであるが、実際には、人々が公共空間をどのように利用するかということについての基本的な調査や知識を、全く無視したものである。そこを訪れた人は、その場所が無機質な壁と独創性のない広場に囲まれているのを見ることになるのであるが、その壁と広場のために、川辺へと通じる潜在的価値の高い空間が、デッドスペースとなってしまっている。特異な造形である美術館を観ようと訪れる観光客が大勢いるという事実を否定はしないが、彼らが落としていく現金収入というものの他に、グッゲンハイムにおいて達成できることがあったはずである。ダウンタウンの中心部の豊かな賑わいに匹敵するくらいの、生き生きとした社会的空間や生活圏を生み出せたはずである。現在の美術館は、それを取り巻く市の他の部分から全く孤立し、隔絶されたものとなってしまっている。

ここに挙げられた複数の過大評価されている場所にしても、より良いものを志向さえすれば、デザインの修正や効果的なマネジメントによって、将来的には素晴しいものに変わる可能性はある。

2. クァドラッチ・パビリオン−ミルウォーキー美術館
3. シアトル公立図書館
 クァドラッチパビリオンの正面広場は、高速道路に匹敵
するほどの交通量を見越して設計された道路に囲まれて
いる
興行的な建築プロジェクトが世界の耳目を集める“ビルバオ現象”とでもいうようなものが、有名な建築物目当ての観光客数の増加につながるという期待の下に、他の中都市においても蔓延しつつある。都市は数百万ドルという大金を投じて、驚くような芸術的な建造物ではあるものの、長い目で見た時に、公共空間としての価値を高めることにはほとんど寄与しないものを創り出している。アメリカにおける“ビルバオ現象”の代表例は、ミルウォーキー美術館のクァドラッチ・パビリオンと新しいシアトル公立図書館であり、ともに「過大評価」としての十分な要件を満たしている。クァドラッチ・パビリオンは、驚くほどに無機質で高速道路にでもなりそうな広い道路に周囲を囲まれている。かたやシアトル図書館も、それを取り巻くダウンタウン・ストリートに面したファサードは単調な印象しか与えず、歩道を行きかう人々を引きつけるものではない。
4.ミレニアムパークーシカゴ

ミレニアムパークのモニュメントは、シカゴ美術館に面す
るこの広場空間と同じように、生命感がない空間の中
で孤立している
“ビルバオ現象”といわれる過大評価建築物についての批判の声は、徐々に鳴りをひそめることになるのかもしれないが、それはミレニアムパーク現象という言葉に受け継がれていくのではないかと都市の趨勢について穿った予見をする人は多い。建築レビュー誌は、シカゴの新しいミレニアムパークを“芸術と建築、ランドスケープの野心的な融合”と評したが、ダウンタウンにこの新たな建築物が創られたのは、 最近の「高度なデザイン性」を採用しなければならないという脅迫観念が高じて、単に公園にあてはめたにすぎない。ミレニアムパークのモニュメントは、日常生活からかけ離れた空間、あたかもシカゴ美術館に隣接した、ただの広場のようなエリアの中に孤立してしまっている。
公園というものは、人々の生活や都市の快適性に不可欠なものであるはずなのに、今のところミレニアムパークは、過大評価建築群の一つになってしまっている。ハリウッド映画の大ヒット作のように、短期的な娯楽としては成功していると言えなくもないが、長期的に生活に豊かさをもたらすものではない。巨大なクラウド・ゲートの彫刻や、フランク・ゲーリーのプリッツカー・パビリオンは、その間にある空間に 配慮していないために、徐々に廃れてきているようにさえ見える。目を見張るような見世物ではあるけれど、公共空間に本当に必要な要素が欠落している。

私たちは、人々に親近感や安全性、快適性を感じてもらえる公共空間を創出するべき大きなプロジェクトを敢行する時に、決して近視眼的な偏ったテーマを採用するべきではないのである。

5.舞台芸術用キンメル・センター−フィラデルフィア

キンメル・センターは以前から存在していた歩行者の動
線を中断している
次に紹介するのは、人目を引くデザイン性ではなく、経済的効果をもたらすものとのふれ込みで、不当に高い評価を受けている場所である。最近フィラデルフィアには、都市活性化計画の土台になるものとして、舞台芸術用キンメル・センターというものが出来上がった。そして、これができる前は何の問題もなく機能していたブロードストリートが、この建物の突出した荷物搬入路と自動車の出入り口によって、歩行者の動線が分断されてしまったのである。このビルの設計は、あたかも来場者が一般道を横切ることなく、直接会場に出入りできるように考えたとしか思えない。これは、大きなプロジェクト計画の背後によく見られる、実に大きな過ちの典型的なものである。キンメルセンターのように近隣住民の生活に必要な小規模な日々の経済活動を省みないものは、今後、地域の発展の可能性を阻む都市開発に対する反対運動の機運をもたらすことになるだろう。

くりかえすが、多くの人々に親近感や安全性、快適性を感じてもらうための公共空間を創出するような大きなプロジェクトにおいて、決して一時的な話題性や偏ったテーマを採用するべきではなく、人々が利用するということに比重をおいた設計を志向すべきである。

公共空間の質を高める意義を、より明確に認識していくことができれば、現在過大評価されているような場所についても、より良いものに改善していくことは可能である。ただここで重要なのは、一人の天才的な才能ではなく、日々の手入れや地味な微調整であり、それがあって初めて素晴しい公共空間を醸成し維持していくことができる。
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