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●2005, NO.14

ジョンP.クレッツマン、ノースウェスタン大学『コミュニティーの場としての公園』
オースティン1996年 都市公園機構年次総会用刊行物より
コミュニティーとは何なのか。公園との関係という視点からみなさんと考えてみたい。まず、スーフィ・ムスリム(イスラム教の一宗派であるスーフィ教)に伝統的に語り継がれる寓話にふれてみたい。この寓話をご存知であれば、スーフィ教の人々がここでの教訓を何よりも重んじていることを知っているであろうが、逆に言えばこの教訓を知らしめるためにこの寓話は語り継がれている。その教訓とは、
人々は既に知っていることの中からしか学ぶものはない
ということである。ここにその寓話を紹介する。
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村の長老たちは、村で起きている問題をずっと解決できずにいたために、他の村から賢者(女性)を招いて、自分たちの村の問題を解決してもらうことにした。さて賢者が訪れたときのことである。彼女の教えを請うために集まった村人たちに、彼女は一つの質問をした。「これから私があなた方にお話しすることが何かわかりますか?」村人たちは答えた。「わかりません。それがわかっているくらいならこの場に集まっていません。」彼女はそれに答えて言った。「あなた方は、自分たちが既に知っていることの中からしか、真に学ぶものはないのです。これからお話することを知らないのであれば、この場を立ち去るしかありません。」村人たちは騒然となった。
数ヶ月がたち、村はまだ同じ問題を抱えていた。長老たちは計画を練るために議論を繰りかえし、再び彼女に村に来てもらうことを決定した。彼女は再度村を訪れ、そして以前と同じ質問をした。「これから私が何をお話しするかがわかりますか?」村人たちは事前に打ち合わせていた通り、今回は口を揃えて「もちろんです。」と答えた。以前の質問のときに踏んだ轍はくり返さないつもりであった。すると彼女は、「そうですか、もうわかっているのであれば、何もお話しすることはありませんね。」と言い残して立ち去ってしまった。再び村人たちは騒然となり、その後の話し合いはより熱気を帯びて、延々と続いたのであった。
前回、前々回の経験を活かした上で、村人たちはもう一度、彼女の来訪を要請した。今回はより準備万端であった。彼女がまたあの質問をしたときに、村人たちの半分は「もちろん、知っています。」と答え、残りの半分は「知りません。」と答えたのである。それを受けて彼女はこう言った。「既に知っている人たちが、知らない人たちに教えてあげなさい。そうすれば、みんな知ることができるではないですか。」彼女はそう言い、その後村を訪れることはなかった。
ある夜、村のリーダーの一人が夢を見た。その夢にはかつての賢人が現れて、こう言ったのである。
「私が伝えたかったのは、本当に重要な知恵は既にこの村の中にあるということです。村の文化、伝統、そして最も大切なことは、村人同士の関わり合いです。あなたたちは既に答えを持っているのです。ただひとつ足りないのは、その答を自分たちで導き出せるのだという自信なのです。」
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この寓話は、中東で7世紀以上の長きに渡って語り継がれているものである。
我々地域資産コミュニティー開発機構(Asset-Based Community Development Institute)は、過去30年の間、アメリカの主だった大都市や中都市を旅し、市内で最も問題の多い地区をつぶさに見て回ってきた。南ブロンクスやボストンのロックスベリー、ロスアンジェルスの南セントラル、シカゴのウエストサイド、セントルイスのノースサイド、クリーブランドのホック、デトロイトのイーストサイド・・・長期にわたった視察は、行った先々で驚きの連続であった。我々の仕事は、それらの地区での問題解決に何が効果的だったのかを、年配の人や若い人から聞きだすことであった。そこで、彼らに次のような質問をしたのである。
□町の中や通り、公園を見渡してみて、どんなところに希望を感じられますか?
□可愛いお孫さんがいるのだとしたら、その町で成功を収めたあなた方がずっとそこに留まろうと思うには、何が必要ですか?
□その町にはまだ明るい未来がありますか?
『内部からコミュニティーを作り上げる』という我々の著作は、成功事例をまとめ上げたものである。過去4、5年に渡って我々が試みてきたのは、成功事例からの教訓を各地域の人たちと共に、公園のベンチに一緒に座って語り合うことであった。
成功から何を学べるのだろうか?
これは大学では通常しない質問だ。普通大学のような教育機関が投げかける質問は、
何がそんなに数多くの問題を引き起こしたのだ?
有識者の集まりである大学は、
問題の発生した原因を探りいかに解決に向かわせることが出来るのか?
といった考え方をするのが通常だからである。
我々はちょっと違った質問をするようにしている。それは、先祖代々ずっと問いかけ続けてきた質問である。人類は40、50年前まで常にコミュニティーについて同じ質問をし続けてきた。
どうやったらコミュニティーに発生する問題をコミュニティー自身で解決することができるのだろうか?
という問いである。コミュニティーにいる人々の問題解決能力とは何なのであろうか?
1 (2)へ続く
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