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ランドスケープアーキテクチュアの考察
第9回:エコデザインの論点と視点
編・文 小出兼久 2008.02.13
不平等と汚物が蔓延するディストピア(Dystopic(1))な孤立地帯は、ほとんど日の当たらないところで殆どの人が住まないところと思いがちだ・・。しかし、もし建築とデザインの世界を牽引する人々の集まりを訪ねたならば、あなたはそうは思わなくなるだろう。
年間約7000万人もの人々が、地方から都市へと移住している。これを1分あたりに換算すれば約130人になると、『シャドーシティー』の著者ロバート・ニューワース(2)(Robert Neuwirth)は記している。彼らの多くは不法占拠した住居に住み、その住居にしてもなんとか組み立てられたにせよ、不十分な材料で作られたものである。
2005年現在、世界には10億人の不法居住者がいるという。そして2050年には、その数は30億人に達するだろうといわれている。この増加率からいけば、未来都市とは、水や電気のような人間生活の基本すら満たさず、そして、地球温暖化を加速する燃料の浪費は増加する一方の環境の中、一時的で安っぽい掘っ建て小屋ばかりを生み出すことになる可能性がある。
「問題は近隣住民である。・・・未来都市を形作るのは彼らであるのだから、都市はこうした居住者を取り込む努力が必要である」と、ニューワースは英国で開かれたTED会議(3)の席上で述べている。
参考資料
(1)Dystpic:ディストピア。 ユートピアの反意語。絶望郷または反ユートピア 。ビジョンのある社会が、ユートピア (理想郷)とすれば、ディストピア状態では、社会の生活状況は極めて悪く、人間の惨めさを特徴とする、貧困、抑圧、独裁、アナーキー、暴力、病気、および汚染が蔓延するという。 但し、学術グループのなかには、反ユートピアとディストピアとを区別する人たちもいる 。

シャドーシティー
(2)ニューワースは、ブラジル、インド、ケニアそしてトルコのような国土における10億人におよぶ都市の不法居住者の中で、世界の最も資源豊富な国に存在する貧困にあえぐ人々を調査する。これらの4ヶ国に滞在し、それにより毎日の生活で得られた直接の経験を抱き、彼らと一緒に住む・・・・。ニューワースは、人々が住んでいるいわゆるスラム街について多くの人が抱いている共通の先入観を取り除く。
(3)TED(Technology, Entertainment and Design)会議:技術娯楽デザイン会議 最も素敵な考えを持ち、実行する人々の集まり。
上空からの視点
グローバル化という言葉がある。国際化とか地球化と呼んでも良いが、グローバル化の進行は地域の境をなくし、人々が仕事の将来性を考えて地方から都市部へ移動する、その大きく絶え間ない流れを押し進めることを助長している。
先端技術の連結性を強調する建築家ウィリアム・マクドナーは、「私たちは、交通を横切ることなく公園中を移動できるように、建築物には昼光が入るように、大学は市街地に、と、都市の配置計画をする。」という。しかし、都市は、物理的にも情緒的にも、さらには精神的にも人々に対処できなかった。人々の流れを支えることはできず、また、都市自体が、持続可能で公平な住処とはなっていない。地球上を席巻するグローバル化を目に見える形にしたもの、それは、例えば、Googleアースである。机上で2〜3回クリックすれば、あなたの机から遠く離れた場所であっても、コンピュータースクリーンの上に持ってきてくれる。
「まったくもって驚くべきことは、机上で実際に地球を探検できるということである」というのは、講師もやり本も書き、イタリアのデザイン雑誌Domus (1)の論説委員であり建築家でもあるステファノ・ボエリ氏だ。「あなたはあちこち飛び回り、見たいと思った地域に近づくことができる。このウェブサイトは、何千もの衛星画像の事実上の集形である。」彼は、衛星画像とは、グローバル化を視覚化し、表現し、解読する1つの試みであり、都市へのその跡を判読するものであるという。そしてさらに続ける。「とはいえ、衛星画像を利用する場合、私たちが実際にまず第一に理解して見るものは、私達の野心である。もっとも、それは、一見したところ客観的に見える、上空からの視界だがね。」と伝えている。思うにこれは、まだあなたが解読しようとしている物理的な環境からの、特定の距離からの見方だといっているのだ。
参考資料
(1)Domus誌=イタリアの建築、インテリア雑誌として名高い。誌面の比重は建築の方が高く、クラシックからモダンに至るデザインの流れを押さえた上で、工学や美術分野の今を伝えるなど、幅広い分野で目配りの利いた内容。質の高い芸術誌でもある。

Domus誌の表紙
新しい都市中国
国際的に有名なデザイナーであり持続可能性建築家でもあり、『ゆりかごからゆりかごへ』の著者でもあるウィリアム・マクドノー(William McDonough)氏は、我々が、自分たちの種としての意図は何であるのかについて考えるならば、我々は我々の未来都市についてのみ考えられるだけだと論ずる。彼によれば、デザイナーにとって、それが次世代都市と呼ばれるかどうかは、いかに絶えず全ての種を愛するかにかかっているという。
そのマクドノー氏の次世代都市についてのアイデアは、中国で展開されようとしている。彼の会社は、中国で、全く新しい都市を7つ造るという責任を負っている。彼の本は中国で政策に採用されているが、それは、次の12年の間にもう4億人の人々を収容する家が必要だと述べたものである。彼が計画した都市は、ミルトン・ケインズ(1)のそれとは大違いである。それはすべてが、微片からさかのぼって設計され、そして、コストや性能、機能の求める通常の要求を満たしている。そしてまた、生態学的情報と社会的公正についても本気で取り組んでいる。彼曰く、
「ゴールとするのは、安全で、健康で、ちょうどの世界のように上品に享受される綺麗な空気や土やエネルギーである。」
「70年代に、私たちは、化石燃料の覇権を確かめた。ならば、私たちが仕事をする際の拠り所とする、次の設計哲学とは何だろうか。」
彼は、人間の技術の結晶として次世代の都市を見なしている。それは、生長し、呼吸し、まさに樹木や森林、庭がそうであるように、生態学的に正常になりえる。エネルギーを使用し、廃棄物を排出し、自然が自分の周りにあるすべてのものを破壊しないという意図で行う方法を持って、再生することができる。
「生態学において成長とは良いことである。我々が成長を好ましいとする場所で何かをすることができたならば、それはデザインにとっての良いオペレーティングシステムの思考様式になるだろう」と、彼は語る。
(1) Milton Keynes(イギリス):ミルトンケインズとは、1967年 1月23日に誕生した新都市。その面積34平方マイル。既存の街であるブレットチェレイ、ウォルバートン、ストラットフォードとその周辺の15の村と農地を統合した。新都市だが既存部の寄せ集めという感がある。ユニークなことに、イギリスは、都市部の形は、トップレベルの街路階層では、1キログリッドを使用しており、:地元の形の方がより伝統的であった。2001年の国勢調査によれば、ミルトンケインズ都市部の人口は、隣町のニューポートバグネルを含むと、184,506人であった。そしてより広い自治町村、それらは、1997年以来バッキンガムシャー州から独立した単位なのだが、それを含むと207,063人であった。(ちなみに1961年の同面積における人口は約53,000人である。人口的には成功しているといえるのかもしれない。)
エネルギーとしての浪費
彼が計画するものについて示すイメージは、エデンの庭のように見える。
彼は、「交通を横切ることなく公園内を移動できるように、我々は都市を配置する。建物には日の光が射し込み、大学は市街地に、そして、ハイテク連結性を伴っている。」と述べているが、さらに続けてこういう。「建物とその周囲の全ては、生態系のように機能し、生長する。つまり、エネルギーを光合成して、生産して、自らのエネルギーをまた再利用する。」というように。
マクドノー氏の次世代の都市という展望の中では、浪費とはエネルギーである。例えば、
食物を料理するのにはメタンが使われる。そして、都市の料理の4分の1は、下水設備から発生するガスで行われる。また、エネルギー・システムは太陽エネルギーになる。「中国は、世界の最大手の太陽エネルギーを利用する生産工場となろう」という。さらに、マクドノー氏の考えに色を添えるために、土は屋根の上へと移動される。つまり、都市は様々な種が住むが、都市の頂上には緑が住む。
彼の都市デザインに対するアプローチについて、人々の中には、環境SF小説のようなたわごとだと言う人もいるかもしれない。しかし、「それは、都市は変われることを示している−人間がその行動を変えることができるように。それは、都市が魔法のように地球温暖化の万能薬であるかのようにに変わることは意味しないかもしれない。しかし、人間は、石が尽きたからといって石器時代を終わらせたのではない。生きる方法について再考する時間が、石器時代を終わらせたのだ。」と、彼は語る。

(図)Greenbridge Developments
エコ都市についての論点・視点は様々である。が、私にとって興味深いことは書籍『Shadow Cities』が示す現実である。
おそらく、日本では起こりえない話だろうと、誰もが思うかもしれない。しかし、必ずしもそうとは言い切れない。地方と都市の間に現実の格差があるように、限界集落(1)も、コンパクトシティ(2)のような居住区もすでに生まれている。このことを忘れずに、次世代の都市を論ずる前に、まずは現実を見つめることが大事なのだと思う。
参考資料
(1) 限界集落=集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きてゆくための「限界」として表現されている。
(2)コンパクトシティ=都市郊外化・スプロール化を抑制し、市街地のスケールを小さく保ち、歩いてゆける範囲を生活圏と捉え、コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとする発想である。
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