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絵画とランドスケープ

秋季の景 ●ジェームズ・リネール/ジョン・ミレイ/ジャン=フランソワ・ミレー● 2006.10.07

James Thomas Linnell ジェームズ・トマス・リネール


秋季(あき)早朝の羊小屋(1850-1888年)
70 x 83.8 cm; oil on canvas

 

ジェームズの牧歌的風景画にはいつも吸い込まれる私であった。山間の羊の群れが、くぼ地の柵の中に無事に集められた早朝を描いている。羊飼いは到着し餌をやり始めたばかりのようである。秋季のはじめ、霜が降る山間の朝もやの影の中、静かに昇る太陽は空を照らしはじめている。
ジェームズは、炎のようなオレンジから明瞭なブルーまで様々に絶えず変化する朝もやの風景を描くのに、自然にある色に忠実に合わせようと絵具を使っている。そしてその空気に囲まれた夜明けの明るさを捕らえている。今にも、秋季の空気が伝わってくるようである。秋季は、私の好きな季節である。




春 Springtime, (1853年)

71.4 x 96.2 cm; oil on canvas

 

逆にこちらの景観の活気に満ちた色は、早春の新鮮な雰囲気を呼び起こす。
その最も目立つ位置で、母親に連れられた2人の小さな子供が、茂みの中で花を摘んでいる。時間が止まったように思えてくる。彼女らを囲む活気に満ちた自然と、芽を出しかけた樹木は、涼しい早朝の光に照らされ、透明感と爽快感のある家族の風景画となっている。後述するが、ジェームズの芸術家の家系と正確な技術、構図に対する細心の配慮などが、効果を一層高めているようだ。

 

●James Thomas Linnell(1826-1905)●

ジェームズ・トマス・リネールは、他の多くの19世紀に活躍した画家と同様、リネール家は、芸術家の家系として頭角を現している。
彼の父親であるジョン・リネールは、肖像画が評判の高い画家であり、造園家であった。その兄弟2人も、職業画家として存在している。
ジェームズは、歴史から景色を描く大志を抱いており、若き日には人物画を試みたのであるが、父親ジョンの「直接的な自然の観察」を描写する価値観に共感し、また、その助言もあり、日常生活の様々な景色を描き始めたという。その姿勢は、父の風景を模した作品から独自の風景を生み出すまで続いている。題材とした風景は、主としてサリー州ライゲート(彼の故郷)、地方が多かった。

John Everett Millais ジョン・エヴァレット・ミレイ 

 
秋の葉 Autumn Leaves, (1856年)
104.3 x 74 cm; oil on canvas

 

ミレイは、赤、オレンジ、茶色、黄色といった鮮やかな色づかいと共に、秋季を呼び起こしてくれる。
中央の少女は、焚き火で落ち葉を燃やし、彼女たちがそろって赤ら顔なのは、炎の熱と照り返しによるようだ。落ち葉、煙、太陽、すべて秋季にふさわしい描かれ方で、すべてはかなさを表しているようで、それは、人間さえも例外でないことを、我々に気づかせてくれる。様々な年代の少女たちが、その青春時代を描かれているにもかかわらず、やがては死ぬことに、私は思い至らされる。

 

 



春Spring (リンゴの花 Apple Blossoms)1859年
113 x 176.3 cm; oil on canvas

 

この春という絵画は、リンゴの花ざかりが描かれたもので、一見普通に美しく見えながら、秋の葉同様、彼の絵画が象徴主義と見られる理由となっている。ミレイは、この絵が「その荘重さによって最も深く宗教的な非難を目覚めさせる」ことを望んだと何かに書いていた。リンゴの花の咲いた樹冠の下に少女が集まり、ある者は髪に花を飾り、ある者はチーズやクリームに夢中になってくつろぐ様子が描かれている。彼女たちは、花として、青春として、誰もが生き生きとした顔で美しいほどに存在している、しかし、どこか厳粛な面もちである。
それもそのはず、右側では死神の象徴である大鎌の通過する時間が存在する。
ミレイは、ここで、この美しきもの皆が過ぎ去ると暗示する。新しい草は切り取られ、花はしおれる。そして、少女は年を取り、死に絶えてしまう。

 

●John Everett Millais(1829-1896)●

ジョン・エヴァレット・ミレイは、英国イングランド南部のササンプトンの出身の、イギリス・ラファエル前派を代表するイギリスの画家である。彼は、11歳の時に史上最年少の画家として、RA(ロイヤル・アカデミースクール)に入学し、17歳のときに出展した、Pizarro Seizing the Inca of Peru で、歴史画家として知られるようになる。
1848年には、ロッセティ、ハントと共に、ラファエル前派というグループをつくった。
ミレイの最初のラファエル前派としての作品は、1849年のthe scene Lorenzo and Isabella である。これは、ラファエル以前のフランドルやイタリア絵画を思わせる作品であった。以後、さまざまな賞を受賞。ラファエル前派の創立メンバーとして、歴史的・文学的主題を、写実に基づく明るい色調と細密な手法で、1850年代後半に同派が解散するまで描いた。その後、風俗的主題や肖像を通俗的に描き、イギリス人画家として富や栄誉、地位を不動のものとした。1863年には、出身校であるRAの会員となり、死去する半年前には、同会の会長に就任している。
1870年代初め頃から、イギリスの有名人の肖像画を多く描いているが、彼は絵画の細かな部分にまで神経をくばり、並外れた構成とその明晰さにおいて、厳格な画家であった。後期はヴィクトリア朝の味わいと、シェイクスピアの物語など、逸話の絵画を描いた。享年67歳。

Jean-Francois Millet ジャン=フランソワ・ミレー



落穂拾い The Gleaners(1857年)
83.5×111cm | Oil on canvas

ところで、普通ミレーといえば、19世紀のフランス画家ジャン=フランソワ・ミレーが、日本では有名だ。そこで最後に彼の秋季の景を選んでみた。『落穂拾い』は1857年にサロンに発表され、フランスのオルセー美術館に貯蔵されるミレーの名作である。名作すぎてしょっちゅう借り出され世界あちこちを旅しているので、オルセーにはあまりいないようだ。農婦が落穂を拾う姿は、指先の細やかなしぐさに至るまで、徹底した写実主義により描写されている。発表当初は、主題と主題を最大限生かす写実主義でフランスでは歓迎されなかったが、秋の農村ならば何処にでもごく当たり前にみられた風景なので、これをサロンに持ち込んだことが衝撃的だったのだろう。バルビゾン派の中でも、大地とともに生きる農民の姿を崇高な宗教的感情を込めて描いたミレーの作品は、早くから日本に紹介され、農業国日本では特に親しまれた。ミレーの代表作のひとつである『種まく人』の方が、日本では有名で、岩波書店のシンボルマークとして採用されたのは1933年(昭和8年)のことであった。1977年(昭和52年)、その『種まく人』がサザビーズのオークションで競り落とされ、日本に請来された*時は、大いに話題になった。

*『種まく人』は同じ絵が2枚存在し、1枚はボストン美術館が、もう1枚は山梨美術館に所蔵されている。

 

●Jean-Francois Millet1814年-1875年●

ミレーは、1814年、フランス、ノルマンディー地方の海辺にあるグリュシーという小さな村に生まれた。大原美術館にあるパステル画『グレヴィルの断崖』は、晩年の1871年頃の制作ではあるが、故郷の海岸の風景を描いたものである。19歳の時、グリュシーから十数キロ離れたシェルブールの街で絵の修業を始め、1837年、22歳でパリへ出て、当時のアカデミスムの巨匠であったポール・ドラローシュ(1797−1856)に師事する。26歳でサロン(官展)に初入選するが、生活は貧しかった。1841年には、ポーリーヌ=ヴィルジニー・オノという女性と結婚するが、彼女は3年後の1844年に貧困のうちに病死する。1846年には同棲中だったカトリーヌ・ルメートルという小間使いの女性との間に第1子が誕生。このカトリーヌと正式に結婚するのはかなり後の1853年で、それ以前の1849年に、ミレーは、パリにおけるコレラ流行を避けて、パリの南方約60キロのフォンテーヌブローの森のはずれにあるバルビゾンへ移住し、以後同地で制作を続けた。『種まく人』をサロンへ出品するのは翌1850年のことである。ミレーの代表作に数えられる『晩鐘』『落穂拾い』などは、バルビゾン移住後の作品である。

<バルビゾン派>

パリの南方約60キロのところにある、フォンテーヌブローの森のはずれのバルビゾン村に定住し、風景や農民の風俗を描いた画家たちを、今日「バルビゾン派」と称している。ミレーのほか、テオドール・ルソー、ディアズ、トロワイヨンなどがバルビゾン派の代表的な画家であり、カミーユ・コローなども先駆者に数えられる。

画家たち

ジェームズ・リネール
ジョン・ミレイ
ジャン=フランソワ・ミレー
 
エル・グレコ
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
ジョン・コンスタブル
ジョン・マーチン

絵画名

豪雨を非難する聖ニコラウス
 

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