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ランドスケープアーキテクチュアの考察
第8回:特別編集 地球的問題の水面下
編 小出兼久 2008.1.10
いろいろな物の見方を米国から紹介する。以下を擁護する立場ではないが、こうした意見のあることに気づけば、私たちが入手出来る情報には一般に偏りがあるのだということに気づかされる。
地球温暖化問題

気候変動科学プログラムと地球変動調査小委員会による報告書
大統領の2008年度予算への補足
コンピューターモデルは、地球規模の気温の急速な上昇を予測したが、その一方で、気象衛星と気球計測からのデータは、温暖化に対しほんのわずかな警告を示すに過ぎない。気候は、期間の区切り方によっては温暖化にも冷却化にもなるという自然の変動を経るので、観測された温暖化のうちどのくらいの量が人類に起因するものであるのかを決定することが、重要である。実際これはこの問題を解決する鍵であり、いまだ激しい科学的論争の主題となっている。しかし、その鍵がグリーンハウスモデル(コンピューターモデル)から計算される温暖化と実際の温暖化のパターンの比較にあることは、皆が同意することである。
それにもかかわらず、意思決定者たちの見解は、科学は確立していて、AGWは比類のない事実であるようだという。しかし、現在のモデルと最新の観測とを詳細に比べると、異なる結果が導かれる。米国政府の気候変動科学プログラム(CCSP)は、2006年5月に、第一番目の、そして最も重要なレポートを出したが、そこでは、コンピューターモデルの実証に最も大事な地域である熱帯地域で、モデルと観測の間の明らかな相違を示している。しかし、行政上の要約は、偽って、AGWを立証する「明白な証拠」だと主張している。この問題をより注意深くより詳細に調査すれば、観測とモデルの相違が本当であり、重要であることが分かる。それは、現在の温暖化の大部分が自然の原因によるもので、人間の作り出した温室効果ガスの割合はほんの少しであることを示唆し、また、コンピューターモデルが、観測によって実証されたとは見なされていないことも示唆している。
しかし、この同じ、あてにならないコンピューターモデルは、1992年のリオデジャネイロ「地球サミット」で採択された世界気候条約を支え、国連が石油やガス、石炭の使用に制約を強いる努力の隠れた推進力となっている。ここでいう世界気候条約とは、気候変動枠組条約のことで、正式名称を気候変動に関する国際連合枠組条約という。その最高意思決定機関は締約国会議(COP)であり、1997年12月に京都で開かれた第3回締約国会議(COP-3)では、法的拘束力のある数値目標とスケジュール計画を定めた京都議定書が採択された。締約国会議は、毎年年末に開催され、直近の会議は昨年12月にインドネシア・バリで開催されたCOP-13で、今年も12月にポーランドで14回目(COP-14)が開催される。尚、昨年12月にオーストラリアが京都議定書に調印・批准したので、現在、先進国のうちで批准していないのはアメリカのみとなった。
政治家は、実際には科学の専門家が依然証拠上で強く反対する場合、科学は「凝り固まっていて」「強いている」と伝える。京都議定書の計画は、エネルギー配給と税収からの経済損失を考慮して、米国議会の強い反対を招いているが、かなりの温暖化が人間の活動の結果として起こるという、あるいは、温暖化の帰結が有害であるという断固とした証拠がなければ、エネルギー効率と市場主義の保護について「後悔しない」政策を超えた官僚の救済策あるいは何らかの行動を正当化する理由はありえない。
IPCC論争

気象変動に関する政府間パネル(IPCC)は、地球温暖化問題について国連に助言する科学者集団である。IPCCは、1990年に初めて評価報告書を出して以来、1996年、2001年、さらに昨年2007年に4番目となる報告書を出した。IPCCは、表面上は気候科学の公平な収集者であり報告者である一方で、政策担当者への要約(SPM)では、一貫して地球温暖化の懸念を宣伝している。
例えば、1996年5月に起きたIPCC報告の未公表あるいは未公認の変化は、科学者集団の中での論争を誘発し油を注ぐものである。この報告書は、1995年12月の草稿の時点で、国家の代表派遣団に承認されている。しかし、印刷された報告書が翌1996年5月に現れたときには、報告書を「政策担当者の要約に一致させる」ために、本文に至るまでかなりの変更と削除がなされていたことが明らかになった。この密やかな変更は、「温暖化の証拠の収支は、地球規模の気候上で、それとわかるほどの人間の影響を示唆する」という報告の結論上に方向転換を押しつけた。
著者たちをかなり先導し手を加えたのは、気候変動の発見と帰因を扱う第8章で、上述の結論を後退させて、気候に対するいかなる人間の影響も発見するには10年以上かかるかもしれないことを認めさせた。そしてIPCCは、2001年に出される次の(第3の)報告においては、精力旺盛に科学的な結果を宣伝した。この報告はホッケースティックと呼ばれ、やがて物議を醸し出すことになる。それは、古気候学者のマイケル・マンがプロキシ(代理)データとして木の年輪を用いた分析に基づいて、20世紀は過去1000年のなかで最も暖かい世紀であったとする主張である。

2001年のIPCC報告で示された「いわゆる」ホッケースティック曲線。
この図は、マンたちが発表した1999年のデータを示す。色線は復元された気温である、そして、グレーの陰にされた地域はエラーとみなされた線を表す。

ホッケーステイック論争後のグラフ
いろいろな以前の物(青線)、より新しい論説(赤線)と器械による記録(黒い線)による過去1,000年の間の北の半球気温の復元。
このグラフで分かるように、ホッケーステイックとは、過去の気温変化を表す曲線が19世紀以降急激に上昇する状態を、ホッケーのステイックになぞらえたもので、マイケル・マンは分析の発表(1999年)後、第3次報告書の書き手のひとりとなった。この主張は、20世紀の温暖化は人間に起因すること、特に大気中の温室効果ガスの増加によることを示唆するはずだった。ほとんどの人々は、このような結果が、たとえ本当であるとしても、AGW上にはなかったということに気がつかなかった。実際、ホッケースティック結果は、その後、誤った手順による統計分析と結果の不完全な適用に基づいたものと論証されている。さらに、ホッケーステイックチームやIPCCによって検討されなかった追加のプロキシデータでは、中世の温暖期(MWP)は20世紀よりも暖かかったことが示唆されている。(この時期グリーンランドへの定住という歴史的データによって良い一致を得た)。
科学が解決すると偽って示す2番目のIPCC報告書は、1997年の京都議定書の採択に結びついた。それは先進工業国による温室効果ガス、特に燃料の燃焼で発生するCO2のかなりの排出削減を要求した。アメリカとオーストラリアは、議定書を批准していない。大部分の他の国は、京都の目標を達成するのは不可能でないとしても難しいと分かっていて、計画されたように、2012年までに各国が成し遂げるのは疑わしいところだ。
行き過ぎた規制
米国環境保護局(EPA)は、全米肺協会(ロビー団体:EPAも資金を助成する)によって起こされる訴訟に応じて、常に厳しい基準を地上のオゾンと微粒子に課している。
この基準は、不十分な科学とひどく非現実的な費用と利益の数字に基づくものなのだが、それでも、EPA行政官のキャロル・ブラウナーは、形式的再検討プロセスの間に出される論評を無視して、熱心に規制を進めた。結果、クリントン政権を苦境に立たせ、反対する 労働組合や産業、市長、議員を増やすことになった。
EPAの規制に人々が反対する理由は、一つには、ブラウナーの極端な措置が、既存の計画の修正を強制し、都市の大気汚染を処理する現在の努力を失速させるのではないかという懸念からである。しかし、それ以上に重大なのは、連邦の規則に合致させるのには費用がかかることで、規制が産業界に都心から逃げることを強いるならば、雇用減少と地方自治体の税基盤に及ぼす影響が、貧困を悪化させたり都市地区を甦らせようとする努力を破壊するかもしれないということである。
EPAは、今でもなお、オゾンと微粒子の目標値をさらに上方修正しているが、それは、アメリカの州には合致しそうにない。多くの場合で、周囲環境の空気の質に対して提案される目標値は現状とかけ離れず、自然環境値を越えている。そして、EPAらは、大部分の人々は、そのほとんどの時間を屋内で過ごすとは考えていない。室内空気汚染のほうが、野外の空気よりもよほど悪いのかもしれないというのにである。EPAは、室内の空気汚染を規制しておらず、また、大気汚染防止法も、EPAがコスト/利益分析を行なうことを可能にしない。ここにもひとつ問題があるのである。
EPAが得意とするのは、自動車と電気を使うパワープラントからの排出に対する目標値を定めることであり、地球温暖化の懸念によってまた、これをより厳しい基準へとシフトしようとあおっていて、CO2排出を制御しようとしている。この新しい環境イニシアティブは、マサチューセッツ州による対EPA訴訟であり、EPAに汚染物質としてCO2を管理することを要求するものである。まさにこの訴訟は、現在最高裁判所より先を行っているといえる。
オゾン層破壊
環境圧力団体は、宇宙に漂うクロロフルオロカーボン(一番顕著なのはフロン)によって成層圏のオゾン層が破壊されているという大げさな主張をしている。しかし、科学者は、いまだ、地球表面において太陽からの紫外線放射のどんな増加も確認していない。
実際に、最悪の場合のシナリオ(盲目の羊、盲目のウサギ、盲目のマス、プランクトンの死、カエルの死、自動免疫性の不全と黒色腫の異常発生などのありったけのニセの話を生んだもの)さえも、結果としては、紫外線のわずかな増加に終わるだろう。私たちが実際に経験できたことと言えば、ちょうど60マイル−ワシントンD.C.からヴァージニア州リッチモンドまでくらいの距離の分、赤道に近くなったことくらいだ。
それなのにブッシュ政権は、慌ててCFC生産の禁止を強要し、このために、米国の消費者は数十億ドルを費やしたのである。そして、良い処置を取ったと思われるように、EPAはこれによって32兆ドルの健康利益が合ったとばかげた主張をしている。一方、CFCの代用と空調システムの改造には高い費用がかかるため、ブラック・マーケットがつくられ、非常に活況を呈している。実際に、ニュース報道によると、フロンの国境取引は過熱し、今やコカインにつぐ二番手として迫っているそうである。そして、更に悪いことに、第三世界国は、フロン禁止から免除されており、そこでは未だにCFCsを用い、また、さらに生産する工場を建設中である。この2つの事柄を結びつけて考えるならば、先進国でのフロン禁止が成層圏のオゾンに何か恩恵を与えたなどということはありそうもないことがわかる。そして、全ての過度な罪悪感の表明が国際的な議定書につながった今、問題の本質はもはや見えるところにはない。
酸性雨の場合、非溶剤には金がかかるという、本筋でない別の問題に注意がそれたように、誇大な宣伝は実体に打ち勝つことがある。実際に、北極オゾンホールについての主張や35パーセントのUV-B(紫外線B波:紫外線の種類)の年次増加など、多くの誇大宣伝があるが、これらはどれも真実ではない。およそ1992年以降、オゾン層の目立つ消耗はなかった。けれども、より遅い率ではあるが、成層圏中の塩素は増加している。狂信者は、臭化メチル(重要な農業の燻蒸剤)の段階的な廃止を得ることにやっきとなっている。しかし、成層圏の臭素が増加したという報告はなされていない。
環境による健康リスク
社会を一つの有毒な分子から保護しようとした悪名高いディレニー修正条項が議会によって最終的に廃止されたとしても、「ゼロリスクzero-risk(リスクをゼロにしよう)」という考え方は根強く残っている。化学薬品や放射、アスベストなどは、通常、健康リスクとしては無視できるほどの閾値を示し、その上、規制によって取り除くことができない自然界に存在する。食品加工と農業では化学薬品の利用が増加し、ガンの危険因子は長年にわたって未確認とはいえ数えきれないほどあるというのに、平均寿命は上がる一方である。ホルモンの崩壊、携帯電話からの放射、動力施設での石炭燃焼による水銀、そしてもちろんタバコの煙のように、危険はいたるところに転がっている。
*ディレーニー修正条項:数世紀の間、我々は、互いの愚行、不注意、無能力や弊害などから、自身を保護するために無数の法律を書いた。これらの法律のほとんどが絶対に何物をも禁止するとは限らない。
エネルギー/天然資源
天然資源、つまり、石油、鉱物、水、材木、漁業などは、財産権が明確に定義されれば、最も良く管理される。市場は、それから価格を決定し資源の割当てを行えばよい。残念なことに、特に水と漁場に、合理的な管理を妨げる多くの制度上の問題があり、資源は因習的に共同で保持されている。現在の世界中での石油の高値は、その入手可能性と安全保障に世間の注目を向けさせたが、一方でそれは、近い将来に世界の石油生産がピークにまで達し、「石油が枯渇する」という恐怖をあおっている。また、中東で政情不安によって供給が中断することへの恐れも引き起こしている。残念なことに、現在のエネルギー政策の多くは、地球温暖化に対する懸念によって運用されており、それは、風や太陽エネルギー、エタノールのような生物燃料、そして、発電所から発されるCO2の封鎖計画を、過度に強調する原因となっている。
科学の誤用と政治問題化
環境の危険や天然資源の管理についての論争は、「政治的に適切な」見方に同意しない科学者への攻撃を溢れ出させた。現状では、観測された事実に基づく科学的な証拠は、思索的な理論と立証されていないコンピューター・モデルの下位に位置づけられている。科学的な討論は、新しい正統性に従うための圧力に置き換えられ、そして、政府機関による調査資金の制御がそれを補強する。特に問題なのは、この資金提供が公正であるべき科学団体や大学の科学学部さえも一方に偏らせてしまうという証拠が増加していることである。科学の未来は、オープンで自由な討論に依存するのだ。地球温暖化の論争は、非常に悪い状況を作りだして、出版プロセスに彼らの個人の偏見を噴射している編集者と一緒に、かつては尊重された科学雑誌に影響を及ぼしている。前述のホッケーストックのエピソードは、極端な偏りを示す良い例である。
宇宙探査
米国の宇宙計画は、惑星科学と天文学に対し素晴らしい成功を収めている。しかし、費用のかかる有人宇宙計画には、科学的に見てほとんど業績がない。有人宇宙ステーション計画は、明快なゴールを欠いている。それは、火星とその衛星への有人探査の足がかりとならなければならない。まず最初のステップは、衛星のひとつに上陸し、基地と研究所を設置することであろう。もう一つの未開発のプログラムは、小惑星衝撃という無視できない危険の影響からの地球とその生息動物の保護である。
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