なぜランドスケープアーキテクトは明日の都市設計者となり得るのか

2016年6月のランドスケープアーキテクチャー財団によるサミットで、ランドスケープアーキテクチャーが都市の未来を形作る上で大きな役割を果たしていることが明らかになった。

 

 

アジェンス・ター社のランドスケープアーキテクトが想像する新しいパーシング・スクエアパークのレンダリング ©アジェンス・ター

 

 

ランドスケープアーキテクトにとって、ここ数十年の間にその職業地盤はまさに変わってきた。2016年の初夏、6月にフィラデルフィアでランドスケープアーキテクチャー財団が主催したサミットで、この職業に就いているメンバーたちは、過去半世紀という時間が彼らの職業にもたらした変化を振り返った。すると、ランドスケープアーキテクチャーに対する表面レベルの一般の認識は、ランドスケープアーキテクトという職業は通常、公園の設計に限られており、それほど広い分野を扱っていないと思っていることが、すぐに明らかになった。しかし、ランドスケープアーキテクトの立場から言えば、その視野や専門的な立場からの関わりは景観を超えて、いまや街や都市の人口へと広がりを見せており、大規模な環境がこの進化し続ける職業の範囲となっているのである。

 

 

イベントで聞いた様々な宣言の中でも新しい景観宣言「ランドスケープアーキテクチャーと未来に関するサミット」は、アジェンス・ターのプリンシパルであるアンリ・ババが、この職業の拡大範囲をまとめたものである。 彼は、L.A.のパーシング・スクエアを再開発するための彼の会社の勝利の青写真を説明しながら、ランドスケープアーキテクチャーが持つ自由な性質を、こう例えた。

 

 

「このプロジェクトは作品ではない、キャンバスである。しかもそれは素晴らしいキャンバスだ」

 

 

都市をキャンバスと見なすならば、ランドスケープアーキテクトは、非常に厳しいクライアントの要求に応えるために雇われたデコレータとして、ますますあちこちで招聘される。公園と緑地はもはや環境上の利益を与えるのみならず、それ以上にさまざまな地域を結びつけ、それらのさらなる発展を促し、差別を軽減し、都市というものが現代的で進歩的であり、かつ住みやすいのだということを示すような創造的階級のシンボルとして役立つようになった。ランドスケープアーキテクトは、都市計画家などの他の人々と協力して、こうした都市の外見と機能に重要な貢献をしているのである。

 

 

ハイライン

 


ハイラインは、公園が都市再生の道具となった最も有名な例の一つである。
joevare:Flickr / Creative Commons

 

 

ニューヨークのハイラインの設計を助けたランドスケープアーキテクトのジェームス・コナーとその会社は、あるインタビューで、今日の都市は壮大な公園プロジェクトで自らを再定義しようとしているが、ランドスケープアーキテクトは複雑な生態系を理解してそれを管理するよう訓練されており、近代都市の複雑な生態系をどのように改善したらよいのかを理解している理想的な都市設計者である、と述べている。

 

 

「ランドスケープアーキテクトという職業は分析的で組織的である一方で、他方では詩人であり、名匠である」と彼は言う。「しかし結局のところ、アートブックのためにではなく人々のためにデザインしている。都市は根幹的な部分で経済マシーンである。常に、住民や観光客あるいは創造的な階級層を魅了したいと考えている。未来は、ランドスケープアーキテクトというクリエイティブな人々の中にある。彼らは、これらのビジネスと人々を引き付けるために地獄のように働いており、自分たちの街に魅力的なアイデンティティーを与えてくれる人々である」

 

 

コーナーは、他の公園のような穏やかなレクリエーションではなく、自分自身にとって真実で本物の場所を作ることがますます重要になっていると指摘した。スピーチの間、彼は、ランドスケープアーキテクトは「都市に美しさと喜びを埋め込むべきだ」と述べ、もし自然を本当に愛しているならダウンタウンにこそ住むべきだと述べた。

 

 

パーシングスクエアのプロジェクトについてバーヴァが述べたことも、多くの都市が抱える病に対する解決策としてのランドスケープアーキテクチャーのビジョンと完全に一致している。彼の計画は、ナイトマーケット、コンサートスペース、オープンでフレキシブルなスペースなどを含むようにセントラルパークを再設計することによって、「ダウンタウンを再活性化する」ことを目指す。セントラルパークには誰もが関わるようにする。それは、日中は事務所の職員が所有する場所で、夜間はホームレスが占める、という従来の公園の考え方を超えるものである。この計画はまた、L.A.のダウンタウンの明確な再建にもうまく収まるものであった。

 

 

このサミットのように、出席者に仕事の意味やプロセス、コラボレーション、多様性などについてのより大きな疑問について考えるよう求めるイベントでは、特に環境に関連して、責任と価値に焦点が当てられるのは当たり前のことであった。UCバークレー校の教授であるマーク・トレイは、ランドスケープアーキテクチャーという職業が単なる「環境的な配管」を提供することになるのを避けるには、より大きな生態学的かつ文化的使命を果たし、より大きな意識を持って行動をしていくべきだと述べた。

 

 

中国の教授で文化景観委員会の指導者である馮漢(Feng Han)は、歴史的遺跡の保存の重要性について語り、パトリシア・オドネル、ヘリテージ・ランドスケープの主任は、保全が再生の原動力となりうるかを議論した。ランドスケープファームSCAPEの会長であるケイト・オルフは、贅沢なプロジェクトとしてのデザインを見直すために激しく戦い、都市の生態学的行動を議論した。

 

 

「気候変動というこの時代、私たちはすべてランドスケープアーキテクトである」と彼女は述べた。

 

 

このサミットは、ランドスケープアーキテクチャーという職業の将来についての団体宣言の合意形成を目指し、1966年の環境宣言を祝った。1966年の意識宣言とは、環境運動の黎明期に、人が自然に害を与えるという意識の高まりを語る先駆的なランドスケープアーキテクトの幹部からの声明である。 「今日とは単に攻撃的なものか、あるいは混乱して明日の命を脅かすものだ」というこの声明は、独立記念館で象徴的に署名されたもので、文書内で見つかった多くの先人たちの集会の叫び声の1つであった。それは、俗にアーバンフライトと称される都市に住む人々の著しい流出が今日の都市公園の活性化を重視する事態を招くとは、思ってもみなかった時代であった。

 

 

今日、環境への脅威はいたるところで感じられており、イベントでの演説者はそれに対する懸念を表明したが、それに対して、ランドスケープアーキクチャーという職業がどのように野生生物生息地の喪失に対抗し、緑地と湿地を復元し、気候変動に対抗する力を備えているかが議論された。マーサ・シュワルツは、我々が抱く気候変動に対するジレンマについて厳しく冷たい事実を冷静に描いたプレゼンテーションで、集団行動、政治意志、政策を求め、今こそ戦士たちが立ち上がり、影響を及ぼすように求めた。

 

 

都市がいっそう混雑し、公園や公共スペースがより重要になるにつれて、ランドスケープアーキテクチャーに必要な学際的な均衡行為は、ますます複雑になる。 自然は、ある意味では、ますます工学的になり、設計者は、新しくより良い景観を創ること、より環境に優しい、より持続可能な都市を継続的に構想するよう求められるようになった。