連載第2回 生物多様性
豊富の時代から限界の時代へと変わりつつある「生物多様性」
生物多様性(biological diversityあるいはbiodiversity)とは、一つの種における遺伝的多様性から全領域内あるいは生態系における多様性まで、すべてのレベルで様々な生物を包含することを意味している。生物多様性は我々の生活に不可欠なものであるという認識は次第に広まってはいるが、多くの種が、都市化や地球規模の森林破壊、気候変動(1)、世界の漁業や海洋生態系における乱獲、工業や農業の拡大、およびその他の過剰な人間の活動によって、これまで以上に脅威にさらされている。
(1)気候変動
気候変動とは、温度、降水量、風のパターン、雲量、その他の要因の10年以上にわたる計測の結果見られた、長期的で世界規模での気候の変動を指している。気候変動の一例として、人間の活動による大気中の温室効果ガス(水蒸気、二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素、オゾンなど)の集合蓄積がもたらす地球温暖化、地球規模での気候変化、特に地球の平均気温の具体的な増加などが挙げられる。
なぜ生物多様性は重要なのか
地球上の生物多様性は、我々が日々依存している地球の基本的な生命サポートシステムの維持にとって重要である。生態系サービス、あるいは資源の本質は、飲料水、作物受粉、栄養循環、気候規制といった、すべて生物多様性に依存するものを無償で提供してくれる。例えば、昆虫や鳥類による花粉媒介の多様性は、収穫可能な作物生産を確保するので、世界の農業生産において不可欠である。
地球上にある驚くほどの生物多様性は、具体的には人類向けの品物を生みだす基本となる。世界の多くの地域で植物の多様性の存在は人間の福利と結びついており、第一に、健康管理に使用される医薬品の主要な材料となる。さらに、最も重要な医薬品の多くは、特定の植物や生物から発見される化合物に成分が由来しており、将来の創薬は、未だ研究されていない薬効成分を持つ種の存続に依存する可能性がある。
生物多様性と農業
農業従事者たちは、我々が毎日食べる食料を生産するために生態系が提供する生態系サービスに依存している。ついで、生態系の健全性は生物多様性に依存している。農業と生物多様性との関係は、農地として整備された大地における生物多様性(すなわち、土壌微生物、鳥、昆虫などの生物多様性)と、農作物や動物の多様性あるいは農業的多様性(家畜の品種や小麦の品種の多様性)と呼ぶべき多様性との、この二つの生物多様性を知って初めて理解することができる。
農業ランドスケープにおける生物多様性
生物多様性は、あらゆる規模の農業ランドスケープにおいても重要である。栄養素の循環を促進し有機物が分解するのを助けてくれる数十億もの土壌に住む微生物から、作物の害虫を減らすのに役立つスズメバチとコウモリや、価値の高い作物に受粉する鳥や昆虫まで、生物多様性は、農家が正常に食料を育てて、持続可能な農業ランドスケープを維持しようとする際に、役立っている。
例えば、我々にとって最も重要な作物の多くは、風による受粉で存在・繁栄するし、世界の主要な作物57のうちの39種は、鳥や昆虫などの自然花粉媒介者による授粉を必要としない。我々の授粉という自然機能への依存と、それなしでは農業経済に障害が出てしまう顕著な例が知られるようになったのは、2006年後半の、米国で初めてミツバチ個体群の衰退や失踪が見られるようになった頃である。これは蜂群崩壊症候群(CCDColony Collapse Disorder)として知られている。蜂群崩壊症候群の最終的な原因についてはいまだ分からず科学的な議論が継続されているが、ミツバチの減少は、我々に管理されている植物の花粉媒介者と野生花粉の媒介者、それら両方ともを保護すべきだという重要な関心をひき起こすのに役立っている。
一方で、生物多様性の維持は、作物生産を確実にするだけでなく、多くの有機生物と種が生存のために特定の農業ランドスケープに依存するようにさせている。一例として、欧州の農地における鳥の生物多様性は、農地と農業実践の強化と産業化の結果として、過去20年間で劇的に減少している。要するに、農業は生物多様性を維持しながらも、生物多様性に維持されるものなのである。
農業多様性
農業多様性とは、小麦の品種や牛の品種の遺伝的多様性のような、計画生産された農作物や家畜における生物多様性を指している。農業多様性は、ある特定の農業が持つ利点のために、家畜と作物を育種するという人間の介入を、数千年行って来た結果である。一つの作物の種の内に存在することのできる多様性の有名な例は、ジャガイモの発祥地、南米のアンデスの例で、そこでは4000かそれ以上の品種または在来種のジャガイモが存在している。多様性のこの豊富さは、農家が人為的に標高の高い場所や貧しい土壌にジャガイモを植えたこと、あるいは、病害虫への体勢など特定の目的のために、世代を超えて特性を選別していった結果もたらされた。
食の安全についての農業多様性を述べるなら、例えば、特定の作物に対して干ばつや洪水被害、あるいは病気などによる障害が発生した場合、食料不足を回避するために別の種が生き残る可能性がでてくるという意味で、この多様性が重要となる。 しかし、農業多様性のこのモデルとは全く対照的に、1840年代のアイルランドでおきたジャガイモ飢饉は、わずか数品種のジャガイモがアンデスからヨーロッパに輸入されたため、病気に耐性がなく、結果として、ある菌が完全にアイルランドのジャガイモ収穫を破壊したことで発生したものであった。その人口の多くを一つの作物が養うという、作物の多様性の欠如と一つの作物への過度の依存の結果として、アイルランドは広範囲な飢饉と死を経験したのであった。
生物多様性と近代産業食物システム
このように農業多様性を減少させることは、今日、歴史的な問題としてすまされるものだけではない。食糧農業機関(FAO)は、前世紀の間に、作物の遺伝的多様性の75%は遺伝浸食と呼ばれる現象により失われると推定している。害虫や病気の発生によって私達の食糧供給はより脆弱になるため、作物や家畜などの品種の遺伝的多様性が失われることは危険である。
例えば1970年代におきた、米国のトウモロコシ品種における遺伝的多様性の欠如は、葉枯れ病に対する抵抗性の欠如が原因で発生したが、10億ドルの損失となった。残念ながらこの状況は、今日まで改善されておらず増加する一方で、工業的食料生産はさらに我々の食料システムの安全を害し、我々を少数の作物品種や家畜品種に集中して依存させることにますますなっている。
先に述べたように、より広い農業ランドスケープの中で生物多様性を減少させると、工業的な農業は生物多様性を低減してしまう。工業的な動植物の農業からの過剰な肥料、栄養素、農薬などの流出は、水生生態系および陸生生態系とそれらが維持する生物多様性に負の影響を与えてしまう。栄養素の流出(2)は、河川などの水域の富栄養化を引き起こし、場合によっては魚や他の生物を窒息させてしまい、文字通り大量の死に繋がることがある。農薬の流出で有名な例は、20世紀後半に殺虫剤DDTの使用によって米国鳥類の多くの種がほぼ根絶され、陸上と水生ランドスケープの両方と農業ランドスケープの中で生物多様性を減少させることになった件である。
前世紀に農地生物多様性が減少した主な原因は、現代の産業の農業ランドスケープを簡略化したことである。前世紀に存在していた農地の農業生態系は、幅広い生物多様性を下支えできるような牧草地の多様なミックス地、農耕地、果樹園、湿地、管理された森林などであった。しかし今日の農業生態系は簡略化された土地で行われている。ほとんどの工業的農業ランドスケープにおける作物植物は畝に植えられた作物であり、土地あたりの収穫量は、最大の利益のために最大化されるのだが、それは結果として農業ランドスケープの多様性の減少をもたらし、ついで、農業生態系の生物多様性を減少させた。
(2)流出とは、地中へ浸透せずに地面を流れて水域に入る雨あるいは灌漑などの水である。これは、土壌浸食に寄与し、水路へ有害な汚染物質を運ぶ。
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