ベストフィクションにおいて作家は、実話の中に単独で占めることのできないさまざまな都市についてのある種の真実を運ぶ。ここで上げるリストは、この手のリストに良く挙げられる『ジャングル』や『ダブリン市民』などの常連作品以外にも、都市愛好家が見落としている可能性のあるわくわくさせる小説と物語を10冊集めたものである。これらの書籍は狂暴性やユーモア、知能を兼ね備えたもので、都市計画の失敗と可能性の両方に光をあてている。尋常でない力を持った都市景観の中で生活する経験を明らかにしているゆえに、頼りにされるものであろう。
『ドールメイカー』 The Dollmaker by Harriette Arnow
注目の都市:デトロイト
ジョイス・キャロル・オーツは「最も気取らないアメリカの傑作である」と、本書をこう呼んだ。全米図書賞の最終選考に残ったこの1954年の小説は、ケンタッキー州の家族が、現在は軍事装備を提供する自動車工場での仕事のためにデトロイトに移民する時よりも、10年ほど前に設定されている。
この街では「田舎者」と称されるガーティー・ネヴェルは、乏しいファクトリーハウジングを彼女の子供と夫にとっての家へと変えようと苦労する。混雑した公立学校からさまよう警官隊まで、生き方としての債務から産業のために犠牲になる緑空間まで、本書『ドールメイカー』は、デトロイトで生きるための日々の戦いをドキッとするほどの感情移入にて描写した本である。
混雑したデトロイトの路地に対する著者の描写は、複数の登場人物にてアンサンブルのようになされているが、多様な人々が住むこの場所では、子供であっても誰もが正反対の価値がつく場所にて彼らの個人主義のために戦うかどうかを選択しなければならないのである。
『マイブリリアントフレンド』
My Brilliant Friend by Elena Ferrante, translated by Ann Goldstein
注目の都市:ナポリ
戦後のナポリそれは驚くべき稀有な街である、物語はそこから始まり、私たちはエレナ・グレコに追従して1950年代後半の時代へと足を踏み入れる。グレコはポーターの娘で、彼女は日常的な暴力やゴシップ、略取によって形作られた近隣地区に育つ。これは都市の貧困の定着したパターンを優雅に解決する本であり、性差別と文盲という世代間の遺産がいかに都市の権力ダイナミクスを歪めるのか、その良心の発達をいかに妨げるのかを明らかにしている。特に、著者であるフェランテはナポリの教育システムを描写する方法を探していたが、言語政治(洗練されたイタリア語とイタリア語の方言)が、いかに街の案内をするキャラクターに影響するのかを見て欲しい。本書は現在のところ3部作の一作目である。3冊でナポリ3部作を構成する。著者は現在4冊目の本を執筆中と言われている。
『ロストインザシティ』 Lost in the City by Edward P. Jones
注目の都市:ワシントン D.C.
首都を舞台に設定された14の物語で、『既知の世界』の著者は、ワシントンD.C.を心から歓迎される政界や洗練された官僚、洗練された観光コースなどと捉えるのではなく、その先を見据えている。その代わりに、北東部と北西部におけるアフリカ系アメリカ人の経験に的をしぼり、ここワシントンDCの他の人はほとんど知ることのない市街を移動している。ある女の子は自分の住んでいるアパートの建物屋根の上でハトを飼っている。ある男は近所の食料品店を大きくしようと苦労している。また別の男は、彼の十代の娘がワシントンD.C.を去り二度と戻って来ないとなった時、何がしかの安定性を得て市街地を捨てた。ある女性は息子が麻薬で稼いだお金で彼女のために買ってくれた高価な家を維持している。ジョーンズの鋭い目と耳は一緒に街を縫いとめ、時々目に見えない人々のワシントンD.C.に対する忠誠心をとらえている。
『私はマゼランと航海した』 I Sailed With Magellan by Stuart Dybek
注目の都市:シカゴ
ダイベック―シカゴの吟遊詩人の代名詞になっている人物であるが― 彼は1950年代に街のサウスサイドでの生活し、ペリー・カツェクの命に従うことによって60年代はコーナー・バー、カトリック系の学校、VFWホールやミシガン湖のビーチなどで生活した。このエピソードの構造は、都市に対する最も深い理解というのは、時系列の因果や正確な歴史によって形づくられるものではなく、いかに独特の感情的共鳴によって形作られるものであるかを読者に思い出させ、この本に哀愁や懐かしいなにかを感じさせるものである。
『ベルリン:石の街』 Berlin: City of Stones by Jason Lutes
注目の都市:ベルリン
1928年の9月のベルリンで始まる本書は、ワイマール共和国の最後の年におけるベルリンという石の街での複数の登場人物の人生を追っていく。それはジャズや芸術の時代でもあり、政治的緊張と長期失業で暗くなる時代でもあった。ジャーナリスト、芸術科の学生、その他多くの人々は、当時、構造的転換を経験しつつあるベルリンに住んでいる。その進行を否定する者は、1929年の血のメーデーでそれを直視することになった。本書は、16の独立して公表された漫画のコレクションであり、グラフィック小説として読まれている。『リュート』は激動するこの都市を、大人と子供、貧者や富者、アーティストや労働者たちが、それぞれいかに異なってその激動を経験したかを明らかにすることで特に熟達の域に達している。いまだ展開中のベルリン3部作の第2の部分は、『ベルリン』で語られている。『煙の街』―それはあまりにも必読である。
『アヤ』
Aya by Marguerite Abouet; illustrated by Clément Oubrerie
注目の都市:コートジボワール、Yopougon(または「ヨップシティ」)
著者であるアブエは『アヤ』でグラフィック小説を書き始めたと述べている―この本は非公式なシリーズ物の1冊目である。―なぜなら彼女は、この本だけではアフリカの都市の描写が限られていることに不満であったからだ。戦争と飢饉の場所として描いたので、彼女はコートジボアールで子供の頃から覚えていたユーモアと毎日のリズムを捉えた文学としては失敗したという。本書で彼女は、1978年のヨップシティという若々しいエネルギーや心酔と約束が溢れた西アフリカの日当たりの良い労働者階級の街を私たちにもたらした。この話は19歳のヒロインと彼女の友人に従って進行する。彼らはこの街で大人になるということは何を意味するかを学ぶ。『アヤ』は、明るい心を持った魅力的な物語である。都市生活のについて綿密に写し取った肖像である。恐らくそれがすべてをより明確にしている。
『ファットシティ』 Fat City by Leonard Gardner
注目の都市:カリフォルニア州ストックトン
これはよくあるスポーツ物語でも、メロドラマとでも、スローモーションで動く英雄の話でもない。この本は、1969年のカリフォルニア州ストックトンで、一人は10代後半、もう一人は30になろうとする、二人の若いボクサーの仕事、夢と面白みのない日常に焦点をあてたものである。ジョーン・ディディオンが書いたように、著者ガードナーは彼の唯一の小説の中でストックトンを「正確に正しく」得た。「ガソリンスタンドの周りの首縛りの木、フィールドダスト、天候の執拗な威圧、堤防やグレイハウンドバスで密封された荒涼としたリエゾン(連絡通路)・・・」大きな夢を抱いたボクサーと都市、その両方が矛盾に満ちている。人々は思ってもいないことを言い、欲しくもないことを願い、嘘から真実を生み出す。建設現場や果樹園での安っぽい勝負や格安のホテル、日雇い労働者の描写の中から、ストックトンという街がダイヤモンドのように鋭く明瞭にはっきりとした形で現れる。
『想像上の都市』
Invisible Cities by Italo Calvino; translated by William Weaver
注目の都市:いろいろ
このモダンな古典は、マルコ・ポーロと年老いた皇帝フビライ・ハーンの間で交わされた対話として構成されている。ここには、この探検家が旅にて訪れた55という並外れた数(あるいは虚数)の都市について記述されている。各挿し絵は、都市デザインや都市理論の壮大なアイデアを掲げ、極端にそれらを押して、異なる都市を描いている。例えば、オクタヴィアという都市は、蜘蛛の巣で作られた街で、奈落の底に吊るされ、恐らくは続かないような奈落によってサポートされている。これは実際の都市のジレンマを共鳴させるような気候変動にて壊れやすい街である。 アルミラは、パイプの街である。その建物には、床も天井も壁もなく、おそらくは建築におけるポストモダンの動向を伏線とした都市である。この力強い想像力と、マルコ・ポーロは明確に都市を記述していないことや、違った見方でヴェネツィアを見ているなどの不安定な葛藤はあるものの、本書がデザインコースで学ぶ者のお気に入りの書物であると聞かされてもなにも驚くことはない。
『NW』 NW by Zadie Smith
注目の都市:ロンドン
この多層的な小説のタイトルは北西ロンドンの郵便番号を通知するが、そこは4つの文字が交差する場所である。具体的には、それらはすべてコールドウェルと呼ばれる架空の住宅プロジェクトから生じるもので、そこには、ホッブズ、ロックなどイギリスの哲学者にちなんで命名された5つの塔がある。スミスはそこの公園や路地、マンション、オフィス、歩道を介して、現代ロンドンの多文化的ごった煮へと読者を連れて行く。異なる視点やスタイルのミックスにて書かれていて(脚本、物語、意識の流れ、リスト、方向)、この小説は広大さを感じさせ、中心とするものがなく、特にその埃っぽい余白に住む人(注:おそらくは行間をくみ取る人々)にとってはむしろ街全体を感じさせるものである。
幾つかの小説は都市内の階級システムの内部の仕組みを貫通するものだが、―特にその機会とモビリティの制限において―本書もそうである。ジェームス·ウッドはニューヨーカー誌に投稿したように、「スミスは偉大な都市の現実主義者である」
『彼ら』 them by Joyce Carol Oates
注目の都市:ミシガン州デトロイトとグロッセポイント
全米図書賞を受賞した本書は、1930年代から1967年の暴動までデトロイトに生きる人々を描写した多世代にまたがる小説である。私たちは、ウェンデル·ファミリー―ロレッタと彼女の子供たちであるジュールとモーリーン、彼らは循環する貧困と虐待という都市景観の中で自分自身の居場所を創り出そうとする―を追うことになる。デトロイトの南西部と市街地が特にここに紹介されていて、それはこの市の経済力のピークがぎりぎり過ぎていた頃のことである。金持ちである市がいかにその高圧な近隣地区とオーバーラップするか、オーツはひょいひょいとその軌跡をなぞる。(この小説は最初「愛と金」というタイトルであった)この本に出てくる人々は自分たちの街に社会変化をもたらすただ唯一の方法は、それを丸ごと転覆させることだと信じ始めている。
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