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第二部 「知ってはいても教えるのは別」
サブテーマ:経済・技術・資源(エネルギー)などに関連性を持ったランドスケープ・建築・空間
●菅案内人:ランドスケープは世の中に何を求められているのか、まず大間さんからお願いします。
大間:私は環境建築家と自称しています。ニュータウン屋というか公共住宅の設計をしていたこともあり、自然破壊が嫌になり、工業団地の設計をしたり、それから造園・ランドスケープの世界へ入りました。
そして違和感を感じた。これは何故今頃(緑の仕事というこのシンポジウム)これをやるのか、にもつながるのですが、いわゆる文化には表層の文化と基層の文化があり、今の造園は表層の文化に偏りすぎている。人が集まれば街になり、国になるという基層の文化を大切にし、総合的かつ融合性を持った計画を行う、これが造園家の視点に欠けているのではないでしょうか。「生業」から「産業」への移行が緑の文化をダメにしたと考えています。
また環境社会学が欠如しています。広い分野にわたって社会が成り立っているが、この社会学的視点の欠如、生活学の認識不足、造園社会は閉鎖的社会、排他的社会で足をひっぱっている。ここには計画デザインの哲学の不足があるが、ここでいう哲学は、単に木を植えるだけでない、人生の哲学というものです。
そういう意味で平成の文明開化を起こさなければならないのではないかと思っています。
勝又:日本みらいキャピタルのパートナーをしている勝又です。社会人になってから一貫して銀行・証券など金融系の仕事に長らく携わってきて、今日こういうチャンスがなければこういう機会に恵まれなかったのかと自分でも驚いています。
2002年、日本の民間初の企業再生ファンドを作って、過剰債務に伸び悩む企業に積極的に投資していこうとしています。不良債権問題は会社自体が再生して元気にならないと究極の解決にはならないのかなと思います。ご紹介するのはテザックという大阪の会社なんですが、地球の温暖化対策、環境緑化、景観ビジネスとか、公共性の高い環境の管理ビジネスを1つの部門として持っている会社で、過去の負債の処理で潜在的に成長を阻まれている、こういうところにも積極的に投資していこうと、今日のご縁ができました。
投資は金だけでなく、自分的にも非常勤取締役としてなにがしかの貢献ができないかと考えています。実際に環境緑化製品としてつくっているゼロマットは、化学肥料を含まないもので、赤裸になった法面を自然に戻そうというものです。日本人は食物については敏感、環境については無関心と思っています。
●管案内人:価値の創造と過去の負債処理というテーマをいただきました。重たい物をどこかにおいて、新しい価値を創造しようという、まさに今日のテーマに近いのかなと思っています。
では、戸谷さんどうぞ。
戸谷:最近日本でサスティナブルという言葉がよく使われるますが、エオコロジカルな意味で使われることが多い。ところが欧米の例を見ると殆どがエコロジカルかつエコノミカルにも使われています。エコノミカルとは、みんなが住みたいということで、みんなが住みたいと思うから市場ができ、そこには需要が集まるから値段が上がる、ということです。欧米では、家を持つことによって個人資産の40%が出来、その価値は年平均6.5%上がります。日本では、家は5年で半分、10年12年でマイナス以下になってしまう。
まあこれにはそれぞれ必然性があるのですが。
●管案内人:戸谷さんは以前はお役人でもあった方ですが、公団がスタートして40年、日本においてどういった環境形成に貢献していると思いますか。
戸谷:日本の不動産金融は、不動産の価値を見ないで金を貸している。つまり不動産によって債務処理はしない。不動産は抵当に入っても、債務は相殺しないということです。日本は最後に生命保険で決済するが、日本以外の先進国ではその建物で債務を相殺します。日本では自分が売り抜けるために詐欺商売が行われてきたんです。これにハウスメーカー、マンション業者、造園家が手を貸してきた。技術的貧しさも含めて、自分の買わないものを作ってきた、この業界はこの点をまず基本的に反省すべきだと思っています。
平松:私は銀行や生命保険、損保などを相手に資産運用、海外不動産投資、証券投資、不良債権買い取り、バランス調査などを10年していました。現在はNPO法人日本ゼリスケープデザイン研究協会で、主に海外情報収集をしています。ランドスケープ業界をマーケティングの観点から見ると、これほど将来性のある恵まれた環境はないと思っています。その宝の山を大きくするためには、業界が緑の仕事内外の垣根を取っ払い、架け橋を多く作るべきで、業界が一丸となってマーケットのパイを広げていく努力をすべきだと考えます。そういう意味でも現在の「エコアセット」など、緑の仕事を中心に、環境と金融を結びつけて事業をつくろうというのはいい動きで、運用したくとも出す先がなくて困っている投資家も多いので、この業界も資金を取り込む努力をすべきです。
前田:東邦レオの前田です。会社は土壌の改良材を長らく販売していますが、今現在は屋上緑化もしています。その中で20年前、土の改良を主としていた頃ですが、土壌の悪い場所を開発したことがあって、通常は、建物が建って、植物デザイン、土壌改良と進むのですが、そこではまず土の改良から建物、木を植えると進んでよかったことを思い出します。最近の設計、植栽設計や公園をつくったりする人は、あまり土のことを気にしないように見受けられます。東京は土の良いところで、黒ボクですが、それ以外のところは非常によくない。東京の国交省が決めた基準で、どこでも画一化して植え穴などの規格や工法が一緒となっています。植物は植えたことより、植えた後が大事で、そこからどのような環境に移るのかが大事です。地べたになんらかの焦点をあてて、20年、30年後にはこうなるとはっきり言えるようにならないと、この価値がお金に替わっていかない。人が住みたい、買いたいと言う空間形成がされないと、お金に替えられない、つまりだれも投資しないということになり、これではいい場所は絶対に生まれないです。現在は、経済価値をもう一度見直す時 代にきている、何とかお金に替えられるような緑ができないかと興味を持っています。
●管案内人:お金に替えられるということは、それだけの価値があるということ、その価値が育まれるような土を開発する立場にいるということでしょうか?
前田:木が育つにはちょっと土にも目を向けてよということです。下が良くないと上が良くならない。緑の商品価値も落ちる。総合的に何ができるのかが、我々としても次につながる仕事なんです。
●管案内人:ランドスケープの可能性を広げていくということですね。
では、丸茂さん、経済は得意ですよね、お願いします。
丸茂:ランドスケープに経済がベースになっているのを、私なりに考えたテーマで話します。レジュメを作って来たので、自己紹介も兼ねて見てください。
1986年に『ジャパン・ランドスケープ』が創刊されました。都市計画をテーマに2年ほどやりましたが、それ以降、人と自然の共生をテーマに移っていきました。
その後いろいろな事情があり、うちで1995年に『ランドスケープデザイン』を創刊しました。この年は大変な年でした。というのは、阪神淡路大震災があり、20世紀の都市づくりはすべて間違いだったという命題を突きつけられたんですね。その後はやはり、強い都市とはどういうものかということに、ー震災の結果でびっくりしたのが、火災を食い止めたのが公園の樹木だったということ、避難場所も樹木に囲まれた公園だったし、高速道路が崩壊してもそこだけは残ってた。ー、そこで、新しい都市はどうあるべきか、自然とどう組み合わせるか、どう市民と一緒に作っていくのか、都市の癒しはどうあるべきか、こういうふうなテーマに移行し、今日に至っています。
また、私は、近代建築モダンアーキテクチャーからポストモダンへの流れを見てきたんだけれども、その中でランドスケープ・アーキテクチャー、近代造園はどこにも位置づけされていなかった。やってきた人はいいたんだけれども、戦っていた。それは、都市の中で戦って近代造園を獲得しようとしてきた人たちで、荒木さんや深谷さん、中島さん、緒方さんなどがやってきたこと、それを次の世代に残していく使命感や役割を負わされたというのがもう一つの僕の大きなテーマだと思っています。
景観とは共有財産で土地の資産価値を上げるもので、日本では私有化が三代続くとなくなってしまう。作っては壊し、作っては壊しというのを日本の都市計画はやってきた。EUドイツでは、7000万個の団地再生を推進している。しかも再生するだけでなく、新しい社会システムを作ってしまっている。すごい人が集まり、大変な環境価値を上げている。団地再生の経済効果が成功しつつある例がドイツにはあるんですよ。
私は森林保全で相模湖に行ってボランティアをやっているんだけれども、森林の経済効果、要するに緑のダム経済効果は確実にある。試算すると70兆円にのぼり、ある程度照明しつつある。今大事なことは、江戸時代は日本は世界で一番環境先進国だった。日本の資源を見直せば、経済は替わらずに価値を持つのではないか。 ランドスケープをそういう視点で見ていきたいと思っています。
●管案内人:勝又さんの先ほどの続きをお願いします。
勝又:(パワーポイント画面を見ながら)テザックの企業理念は自然との共存で、環境汚染か地球を守る取り組みを行っています。自然景観修復への取り組みは、化学肥料ゼロのゼロマットによる周辺の植生との調和を目指した修復でこれは種子なしの高層植生マットです。ゼロエミッションの取り組みとしては、地域発生のコンポスト・モミガラを使っています。ゼロマットの石川県の施工例では、3か月で緑に、三重県の例では4-6か月で緑になりました。
●管案内人:いろいろな製品があり新しい技術が開発されてきている。こういう技術をどういう時にどういうふうに使うと幸せになれるのか、小出さん、このシンポジウムに経済というキーワードを投げ込んだ心をお話ください。
●小出総合案内人:アメリカベースで仕事をしていると、建物よりも緑の面積で価値を求められます。土地自体は安いのですが、緑があるほうが資産価値は良いです。また平らなところから仕事をするのは、大都市でもめったにありません。経済というと、私はよくスタッフにいうのですが、私たちはこの木一本なんぼで仕事をしているのに、造園家で150円の苗を平気で踏む人がいる。その人は、木を一本育てるために、どれくらいの水とお金がかかるのかを考えて見たことがあるのかと言いたい。昔は水と自然はタダだったけれども、今はただじゃない。経済なくしてランドスケープを考える時代ではないんじゃないかと思います。
私にとって水はテーマでもあるのですが、例えば、ユニクロのシャツ一つを取ってみても、仮想水という水がかかっている。これは洋服を作るためにも水がいるということで、これだけのためじゃないとしても、中国ではダムをつくっている。これは経済効果を生むけれども、跳ね返りもある。ランドスケープアーキテクトもそういうことをいろいろ頭に入れて考えていってもらいたいと思います。
戸田:熱海で仕事をしていますが、昔は水も綺麗、海も綺麗という環境でした。今はお互いに旅館を見ているような状況で、観光客も減り、やがて旅館も減ってきて、これで少しは良くなるのかな?と思ったら、そこに億位の高層マンションが建つようになり、人間の業の深さを感じます。
お宝探偵団という番組が流行っていますが、あれは一見価値がなさそうなものに価値をつける面白さ、お金にするといくらというのがわかりやすいんだなと思いました。それをなるほどと思った方は、それからそれを大事にするというひとつの循環が見えました。我々も、環境をみんなで誉めるというか、遊び心で価値を付けちゃう、並木が綺麗、一本の木が綺麗、森林が水を守ってるなど、環境探偵団というか、大きなケヤキがある家があったら、それを誉めに行くというか、座標軸がみえると我々がどういう役割をしているのかという心強い思いになるのではないかと思います。
●管案内人:既存の価値を創り出す環境をどう考えて言ったらいいのか話題になっていますが、難しいですかね。
戸谷:価値について一言。経済的価値というのはお金ではかりますが、皆が欲しいという評価は効用で図るんですよ。効用とは、デザイン、機能、性能のことで、これらは使用価値とも言います。アメリカで住宅地を選ぶ時には、ロケーションこれはデザインでもあり、近くに学校などがあるか、事故、崖崩れなど街の効能をもとに決めるわけです。このように使用価値はお金では計れないんです。使用価値を計るのは満足価値でこれは交換価値ともいうんですが、例えば皆さんの価値は自分の給料で図られると言うわけです。使用価値を計るものさしは3つありまして、絶対価値、相対価値、収益還元価値で、絶対価値はそれを今作るときにかかる金額、相対価値は類似物件と相対的な関係をみて調べるもの、収益還元価値は賃貸に出すとどれだけ収益がでるかということで、こういう経済学で決められた物語の中で議論をしないと、話が混乱していくので口幅ったいのですが、・・・(中断)
●管案内人:ランドスケープの世界で、価値を語るにはどういった切り口で話したらいいと思われますか、戸谷さん。
戸谷:みんなが欲しいと思う、つまり効用です。
●管案内人:今言っていただいたものさしをランドスケープでも使っていきたい、ということは共有していかなければならない。ということですが、大間さん、大間さんの経験のものさしの中で、ランドスケープのものさしについてお話ください。
大間:経済論のランドスケープっていうものは何なのか。今そしてこれからを語るときに、もちろん経済を抜きには出来ないんだけれども、経済主体で物をすすめるのは場違いではないのか・・
●小出総合案内人:でも、根本は欠けちゃいけないんですよ。
大間:抜きにしろとは言わないけれども、経済中心ではないじゃないかということです。私がレジュメにも書いた生業から産業へということで、例えば、モンゴルではお金の価値は関係ないんですよ。捨てるのものは一切ないし、物々交換だし、そこではまさに生きているということが生業。日本では近代になると産業がそれにとってかわり、例えば、我々の仕事では入札の中で物事を判断する、大きい会社は小さい会社よりえらい、といったように。本来生きていくために産業化したのだけれども、質が下がっていく可能性がある。その質の価値まで全部決められると思っているのが役人なんだけれども。そうした中で、公共事業に関連する緑産業が主体で、プライベートな緑産業はその傍流にされてしまっている。これに気づいてもらえないと、緑産業のこれからは違ってくるのだろうと思っています。中途半端な民活がまやかしで、実際の政策によって街はめちゃくちゃになった。行政は、口は出すけど金は出さない。このやり方がまだ続くのか、モンゴルでは今生業から産業への転換期にあり、それを見ているとどうも、日本のようにはなって欲しくないなと。
●管案内人:宮本武蔵の二刀流じゃないですけども、生業の刀と産業の刀と両方をさしていかなければ生きていけない、というのが小出さんの話のメッセージの1つで、またそれぞれ大切で中味を知りたいというのも今日の話です。
戸谷:一番重要な問題はですね、職能が産業の中で、自分の技術でない範囲でやることなんです。技術がないのにあるような顔をしてやってはいけない、自分のモラルがあって、人様の金でやるのだから、自分の手に及ばないところをできるような顔をしてするな、これが基本ですよ。
官僚主義に付いて言えば、そのものに自己増殖機能もあるが、私は官僚が長かったからよく分かっているので言わせてもらうが、官僚が作っている都市計画も建築もいわゆるプロといわれる連中がすり寄ってきてやっている。官僚も自分でそれを使っている。官僚の中にも自分の知識が不十分なのに自分の権力と同じくらい能力があると思って乱入するものもいるけれども、そこにすり寄ってくる、売り込んでくる職能が沢山いるのも事実です。日本の都市計画、建築、ランドスケーピングは基本的にレベルが低いんですよ。
小出:どこのラインでのレベルが低いというんですか。
戸谷:目先の話に終始しているということです。それを支援する金融システムもおかしい。また、官僚機構というものがどういうものかも理解して欲しい。
●管案内人:ランドスケープも最低、官僚も最低で、みな最低だから、これから良い方を向いていきたいというのが今日の話なのではないかと思います。
本音で話したいということ、そして皆がいろいろな調整をされてここにいるこの時間を大切にしていきたいと思います。
戸田:住むということからランドスケープを見ているのが戸谷さんですが、どこで参加するかによってランドスケープアーキテクトの立場は異なってきます。住みたい環境について、物質面では充足してきたと思うんですが、住みたい環境とはどんな価値を持った空間なんでしょうか。ということを話して、で大きく方向が出たら、それを実現するためにどうしたらいいのか、手段、渡り合うテクニック、エコノミー、技術、について考えていったらいいのではないかと思います。
●管案内人:二段階で考えましよう。
1.住みたい環境とはどのような価値をもった環境なのか
2.それを実現するために私たちはどうすればよいのか。
シンポジウムの迷い道に落ち込まないように自分の思いや考えを出発点としてゆきたいです。
平松:住みたい環境というのは、街並みが綺麗とか、調和しているというのが殆どで、何がほっとできるかも世代世代で違うと思いますが、それは常識とも言えるもので、今それがゆらいでいるのではないでしょうか。
松崎:自分にとって住みたい街というのは自然が残っている街で、断片的にというよりも昔からあったように自然があるということなんですが、そういう所に住みたい。自分の街だと感じられるような場所、似たり寄ったりの街なみでは落ち着かない。ああ、自分の街に帰ってきたなあという雰囲気を持っている街がいい。
丸茂:自分の経験からドイツの例を挙げると、大規模開発をしているのだけれども、少し入ると森でコンサートをしている、そんな自然を身近に都市の中における環境がいいなと僕は思っています。東京にはないので相模湖の森に行っていますが、森は癒すだけでなく、生物全てを治癒するすごい効用がある。私か住みたい環境はこういう環境です。
●小出総合案内人:10年前と20年前の生活者の考え方が全然違います。20年前にはコンピュータもこんなになかった。住宅地も違います。アメリカの例を見ても、ある地域は低所得の黒人が多く住んでいるんだけれども、NPOがディベロッパーと競争して買い取り、開発している。こういうふうにランドスケープも20年前と今とでは変わっている。貧しい地域にわざと税金を高くして、地域の福祉産業にお金をださせるという新しいシステムも興ってきています。何処に住みたいという価値観もものすごく変わってきている。いろいろと冷静に見ていけば分かってくるだろうと思いますが。
また、お金の稼げるランドスケープアーキテクトになるには?という(会場からの)質問には、僕のように好きなことを言って好きなことをして、いろんなことを見出しながら、いろんな人と出会うということしか言えません。時間をかけて道草を食いながら、自分のこやしにしていく人も沢山います。
そして、ランドスケープにはものすごく幅がある、ということを今日来ている若い人たちには覚えていっていただきたい。炭焼きもランドスケープ。また、あとで杉浦先生を紹介します。
戸谷:一人の人間の土地と建物だけでは解決しないんですよ。その話をさせてもらいたい。自分で全部作ろうと思ったら大変、その時に、自分と同じような関心がない人と住むのは、費用対効果の効率が良くないんです。CID(Common Interest Development)というのは、利益を共有する人が一緒に集まることによって費用対効果を良くしましょうという、アメリカの合理的な考えです。産業とは、お金をもらったらそれ相当の満足度を与える、産業者はそこに住んでもらう人にどのような生活を与えるか、需要者の話を明確にしないで、どういうところに住みたいですかという質問は非常に困るわけで、私はあの、住みたい人がどういう条件を持っているかによって・・
●小出総合案内人:いいんじゃない、もっと簡単で。つまりは価値観を整理してということですよね。
戸谷:そうそう、サッカーとラグビーは一緒にできない。
大間:住みたい環境の価値を言えば、持続可能な社会が住みたい街になってくるんじゃないかと思う。その街に住むことによって、誇りを感じる街、ニュータウンの作り手の経験からすると、これまでも時代区分できるんだけれども最初は、密度の時代。何ヘクタールの何個、どれだけの人が住めばいいのかから議論が始まった。そして同時並行して原単位の時代。これは、商業施設や小学校など、原単位をどう作っていくかという問題だった。次に計画手法の時代。新住法、区画整理など、どういうふうに計画するのかを一生懸命に考えた時代である。そして、コミュニティの時代。コミュニティとは何かということが盛んに論議された時代だった。そして、建設の時代。このころからランドスケープの人々が入ってきた。そして、今や、コンパクトシティ、サスティナブルシティ、ということが言われてきている。こう考えると、緑の仕事はまさに建設の時代からきたのであって、そのもとにある密度論とかどれだけ緑があればいいのかとか、原単位とか、計画の手法とか、まだまだそういうところが薄っぺらいままで「やれ作れ、それ作れ」と来てしまったことに問題があると自分自身が反省している。沢山設計したニュータウンで、まだ出来ていないものもあれば、老齢化も進んでいる。そうでなくて、サスティナブルな社会で誇りの持てる、例えば、アムステルダムは、中心部は復興型の開発をしているけれども、郊外では斬新な街づくりが行われている。そこに住んで住み続けている、これが住みたいというものではないのか。
●管案内人:皆さんの思いを空理空論にしないために、付箋紙を配りますので、こういうところに住みたいということを書いてください。
大橋:住んでみたい街、行ってみたい街。難しいと思います。情報や日々によってどんどん変わっていくだろうし。その中で、やはり、作り手の論理と使い手の論理は、あきらかに大きくギャップが開いてきている。それに気がつかなければならない。使い手の価値観が多様化して、選択肢が多くなっている。仕事をしている人ならば、職が成り立たなければならないし、子育ても、そして老後は物価の安いところ、と同じ人でも変わっていく。個人差もある。今一番問われているのは、判断力で、計画する人の判断力と使い手の判断力、それをやっぱり両方から見ていかないと、なかなかやっぱり難しい。夢を語るのと現実を語るのとは違います。計画者は、夢ではなく現実の問題からその実態を捉えるということも、とても大事なのではないかと思います。
●管案内人:私は20何年参加型の公園、街づくりの仕事をやっていますが、最初の10年は失敗つづきでした。子どもに、「どんな公園が欲しい」と尋ねると、「シーソーにジャングルジム、ブランコ」という答えが返ってくることがあって、最初のうちは「なんだ簡単だ、プランができた」と喜んでいたんですが、そのうちに何でこんなのばかりがでてくるの?ということになり、やっと気づきました。違うんですね、効き方がまずかった。「どんな公園?」では、既存の名前ばかりで、新しい創造性が開かれていないんです。「どんな広場?」とか違った訊き方をしないと。今私は、みなさんが「住みたい街について」どんなふうに答えるのかとても楽しみです。その前に、(収集の整理にももう少しかかるので)金澤さんに、お話を伺いたいことがあります。金澤さんは古い庭を訪ねてはいろいろなものが見えてくると言われますが、僕たちに具体的にどのようなことが見えるのかもう少し詳しくお話いただけたらと思います。
金澤:私たちは、図面を作って物を作っている。物を理解するのには図面を作って理解する。そうしないと新しいものを作るときの創造力をこめていけない。なんでも図面化したいが、寺際にはなかなかできない。建築には、設計図があるが、(完成したものは)そうはならず、物はそのとおりにできていない。現実を把握するには図面が必要で、そう思ってやり始めると、誰かが図ったやつがあるだろうと思ったが、それが全然ない。結局そういう分野は必要なかったということになるわけです。設計図は物を作るために必要だけれども、現実を図ってみる、実際に図ってみるとすごいことになる。
マルモさんの『ランドスケープデザイン』で2月から遠州の連載をしてまして、広大寺について書いている。
(注:広大寺の実測平面図・断面図を示しながら詳細を説明:詳しくは季刊『ランドスケープデザイン』の連載をご覧下さい。)
<住みたい環境とは?会場アンケートの集計結果>
いくつかの括りで分けていますが、内容が他の項目と重複しているものもあります。
・景観/緑・・・一番多い答え
四季が感じられる
家の一本の木が季節を感じさせ人々を和ませてくれる
田舎がいい
自然がゆたか
大きな木がある
縁側やベランダでゆっくり過ごせるような街
水の音がする
路地裏がある街
商い風景が広がる
子どもの頃住んでいたような街
自然と調和
畑のある街
・安全/安心・・次に多い答え
安全な街、静かな街
路地で遊べる
外で座っていられる
やすらぎのある、ストレスのない街
・コミュニティ/コミュニケーション
毎日何かの発見がある
人と人が笑いあえる
子どもの声がある
人の顔が見える
・街として多様
星が綺麗に見える
いろいろな角度から街を考える人が住む街
炭焼きのできる街
散歩したくなる街
歴史・文化のある街
・意識/作法
自立したルールがある
挨拶をかわすことができる
そこに住む人間の雰囲気、ふるまいが自分と同じである
一人一人が自立している
自分の理想に近い街
誇りが持てる
住んでいる場所が自分を表現できる
・利便性がある・・・意外と少ない答え
便利であって緑がある
・経済
風景が価値を持つ
・その他
住めば都
ここには住めないと思った場所以外
○フリートーク
金澤:ベルコリーヌについて話したい。9月に現場に行って、基本計画を3か月、実施設計を3か月で終わりにしろというのが、スケジュールでした。そういうことで、今までの様な話をそこに盛り込もうとしても、できる話じゃないんです。我々の能力を常に超えている。しかし、現実的には作ってしまい、一年半で入居ということになってしまった。とんでもない話だ。時間をかけなければものはできない話なのに、それをそんな短期間で、毎日徹夜、なけなしの知識で作る、これを変えていかなければいけないということです。
●管案内人:もう金澤さんそういう仕事してませんよね。
金澤:そんなこともうできませんよ。
丸茂:1950-60年代、公団は住宅供給のために、団地を作ってきました。今住んでいる人の大半は、高齢化しています。今少子化、高齢化で大変な時代。団地を作り替えて資産価値を盛り込もうと思っても、できない。先ほど話しているドイツの団地再生は、増築ではなく減築なんですよ。公団はあいかわらず、スクラップ&ビルドだけれども、今一番大事なのは、資産価値を盛り込めるのはランドスケープの仕事だということ。また、(ランドスケープは、)そういうことをしかないといけないと思います。
タレント建築家など各々作っているものに、ランドスケープアーキテクトは関わっているけれども、まず建築ありきで、ランドスケープアーキテクトがどんなに頑張っても、最初にその場所をどのように快適にするかという計画を挙げても、それが活きてこない。公団も何故か建築家を守ることをしている。それが、商品価値を持つことを信じているけれども、プロの仕事と一般ユーザーの求めることのギャップが出ています。私はそのギャップを埋めることができるのは、コラボレーションだと思っていて、それを実験的にできるのが、ランドスケープの世界ではないかと思います。
戸田:ランドスケープは、確かに景観・自然・歴史があることなんだけれども、やっぱり人間なんだ。人間と人間が暖かくつき合う街でなければ、どんなに美しくとも住み易くない街になってしまうんでしょうね。
それと、コラボレーションの話に少し繋がるかもしれませんが、私の実感として、ランドスケープアーキテクトの役割は、民間のマンション計画のあたりから、徐々に出来つつあるなという意識を持っています。ランドスケープアーキテクトが建築家と共同しながらやっていくとき、主導権や時期でひとつの仕組みがなかなか上手くできないというのは、設計業者同士よりも、クライアント・事業者側に原因があって、当初からそういうランドスケープ的なもの作りの視点、これはまだ外構じゃないですが、当初からそういうものの大体を思っていただくのが必要で、上手くいっているのは、トップ・部長クラスのディベロッパーの人が、ランドスケープは面白い、ランドスケープの概念で展開すれば住宅もこんなに豊かに成り立つというプレゼンテーション、又は人的つきあいがあって成り立っている。それ以下ではセクショナリズムがあり、それを突破できません。そこで、働きかけは頭から行うべきで、積み重ねではなかなか実現できないわけです。
戸谷:住宅は不動産であるということをどれだけ認識するかが、世界と日本の違いです。不動産とはそこに変な物が来ても動けないということです。ベルナルドは計画通りにできたからよかったわけで、日本の場合ではこうはいかない。正田美智子さんのご実家が維持できなかったのは、マンションが乱立してそこでの地代ベースの地価になってしまい、現役の日清製粉の社長でも相続できなかった。世界中で戸建ての住宅地にマンションが入り込めるのは日本だけで、第一種低層住居専用地域に50平米の店舗が入り込めるのはおかしい。日本には都市計画がない。アメリカでは、1700年代くらいから住居用地に商業施設やマンションを認めず、制限約款がかかっている。アメリカでは最後の環境は人間だといっているように、ディベロッパーがどういう街にするか決め、敷地のセットバックを決める。こうすることで、6mの道路でも20m位になります。またフロントヤードは個人の所有であっても、ディベロッパーがまとめて管理することになっています。
丸茂:森林保全では、FSC認証林というのがあって、これはきちんと管理されている森林にマークをあげるもので、そうすることにより、価値が上がります。その生産材にもラベリングをします。現在59カ国で認証を受けており、日本ではWWFジャパンが代行しています。日本では16カ所あります。日本の森林価値のデータベースを作ろうという動きもあり、保全だけをしていても、活用の道、商品に作り変えなければならないのです。
大間:今度できる都市再生法は、地域の人々の想いを汲み上げて街を作っていこうという形に変わってきている。ランドスケープの世界はこれからますます明るくなると思うが、まずは、ディベロッパーの意識を変えよう、そのためには、我々の意識を変えよう、どのようにかというと、都市計画のキーマンがランドスケープアーキテクトでなければならない、造園より広がって問題をトータルに考える、そのためにはそれなりの勉強もしなければならないだろうが、マスタープランの団塊でランドスケープアーキテクトがキーマンとなって新しい街を作っていく時代が来る。いや来させなければならない。
都市再生法を読むと、下水道計画、上水道計画、交通計画にもランドスケープ抜きには成り立たなくなっている。行政でも都市局と住宅局が連立して一緒になって進んでいく、うっかりすると国の方が先に進んでいってしまうから、我々が先取りして運動を起こしていかないと、現状のままでもってただ「ディベロッパーが悪い」という話になってしまうのではないか。ただ、先行きは非常に明るいです。
戸谷:(アメリカの)アーキテクチュラルガイドラインは、道路に対する敷地のセットバックを義務づけるが、そうすることで、木が連続を作り街並みが出てきます。携帯でも雨でも風でも他人の土地を通らないと入ってこない。都市空間は社会のみんなが使っていて、その利用の仕方、社会的利用と私的所有のバランスをどうとるのかの線引きをアーキテクチュラルガイドラインで、ディベロッパーがやってきた。さらに、宅地業者はアーバンプランニングをしてきた。これらは、個人財産を価値あるものにするために行ってきたことで、イギリスでは大地主のものであった土地を、アメリカでは自分のものとするために行ってきたわけです。日本では個人の土地を道路のために召し上げてしまう。
そこで、金融において、不動産の価値をきちんと見て、30年融資だったら30年将来をみた融資が必要で、こうすれば目先の「債」がなくなる。また、住居地域に置いてマンションと戸建ては別にすべきです。
都市というのは、いろいろな街が熟成していって、自分が住みたいと思ったらそこに住み続けることが出来なければ、これは「街」ではない、「仮設住宅」です。
大間:空間経済論も大事。ランドスケープを税法から変えていく必要がある、ランドスケープアーキテクトが率先して始めていくべきで、これは是非やって欲しいと思います。
●管案内人:ランドスケープに関わる法律は、都市計画法、都市公園法、都市緑化保全法などありますが、ランドスケープ的豊 かな環境実現させるためにはどう向き合っていったらよいのでしょうか。
せっかく植えた木をバサバサ切らなければならない、そんな間抜けなことをいつまでやっているのか、やめたいと思いながら何故みんなだまっているのでしょうか?
●小出総合案内人:日本のランドスケープアーキテクトが法律を見ようとしない。一方で経済も見ていない。デザインだけが優先して空洞化してしまっている。戸谷さんのいう歴史も大事だけれど、日本の中の民俗っていう部分で考えれば、必ずしも欧米的なものにはならないです。僕の持論では、日本のランドスケープにおける法律と経済は、今後もっとウエートを持ってくるだろうと思います。
前田:顧客満足度に目がいっていない。ランドスケープはこうあるべき、こうあるべき、だけでなく、自分たちがこういう物を作る、本当にここに住まう方が満足するか、10年後、20年後どうなのか、本当に自信を持って言えるのか、振り返って考えるのが大事です。こうして考えを広げていくときに、評価する軸が大事になってきます。ランドスケープの街を作るとき、評価軸がないでは、価値が生まれない。評価基準を作るべきで、まず、ランドスケープを作る人が、軸として考えるべきだろうと思います。
丸茂:『ランドスケープデザイン』をリニューアルしたことを例にお話したい。ランドスケープという言葉が、『エスクワイア』などで、おしゃれなキーワードとしてでてくるのこともあり、本誌を若い人に作らせることにしました。これにより、20-30代の読者が増えた。若い人の視点は違う。これは、希望が持てると思い、利用者側に立った視点で、この雑誌をスタートしました。また、私は、団塊の世代で、自然と共に暮らしてきたギリギリの世代であると思っている。これを伝えていかなければならない。ランドスケープがもっと格好良く、生活の中に浸透していくような、そういう活動ができれば良いと思います。
大間:「ランドスケープ」と「造園」が混同して使われている。私は日本において「ランドスケープ」は、安易に使うべきでないと思っています。アメリカナイズされてしまう危険があり、東南アジアなどもそうなっているが、アメリカ化ではやがては日本は追い抜かれてしまう。で、日本にあるのは「造園」。今までは、「術」だったが、これに、人の心を加えたとき「道」になる。これから先の新しい時代は、「造園道」という言葉を持って良いくらい。誇りを持って欲しい。
地福:行政と専門家の立場の視点で、物作りをしてきましたが、市民の公共空間・環境に対する意識が高くなっていて、そのうねりを感じます。横浜市に見られるように、市民参加から「パートナー」へと、でも市民の方はプロではないので役割分担は必要ですが、そのうねりはヒシヒシと感じています。今まで専門家だけではもの申せなかったことも、市民と共に、良いことは良い、悪いことは悪いと正していけるのかなと、希望を持ってやっていけるのかなと思っています。
戸谷:官僚を40年、人々が住宅を持って幸せになることを望んでやっていたけれども、40年たって、そうできなかった。それを直すにはどうしたらいいのかと思い、NPO法人を立ち上げ、学ぶことを始めてきました。学ぶということは、自分の力の足りないことを知って、進んでいるところをまねることから始まり、住宅産業で、では一番進んでいるところはと見た場合、アメリカでした。アメリカでもやはり消費者が幸せになるにはどうしたらいいのかという視点から行われています。これを年数回の視察とそれだけでは足りないから書物や資料などからも学んでいるのですが、アーキテクチュラルガイドラインについては、特に重要であると思われるので、我々は研究会を4年も行っているが、研究会で使ったものを皆さんにも利用できるようにしています。機会があれば利用して欲しい。私は、学ぶということは、まず進んでいるものを真似て追いつく。それから初めて独創的なものをすればいいので、追いつかないうちに勝手に独創的なものをするべきでないと思っています。
勝又:ランドスケープ門外漢である私は、ただただ本日は驚きばかりであったが、これからも企業債性ファンドと環境ビジネスの門外漢としてだからこそ、新しい世界がみえるのではないかと感じました。本日のネットワークを大事にして、もう少し掘り下げて行きたいと思います。
平松:景観を格付けして、格付けによって固定資産税や都市計画税など税制をからめて、何とかみんなで良くしていこうという仕組みを、ランドスケープ業界として世の中に発信していこうと強く思いました。
(第二部終了)
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注}以上は、当日の録音を元に主要な発言をまとめたものです。
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