■開催履歴 2004.11〜2005.6
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| 6月 |
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第8回 最終回
「小堀遠州を読み解く会」は元々ランドスケープの視点から、遠州作とされる庭の実測図や現存する書状、古文書などを通して作庭家小堀遠州を見つめようとして始まったものでした。金地院、伏見奉行所、孤蓬庵、待庵、頼久寺、備中松山城と取り上げてくる中で、江戸幕府の創成期という時代に、封建的階級制度に伴う権威付けや、武家社会を統率するための枠組みを確立していかなければならない徳川家の要請に応えるべく、遠州が如何に悩み、工夫を求められていたのかということに想像はふくらみました。浅井、織田、豊臣、徳川に仕えるという激動の時代を生き、また長谷寺の造営や伏見城の修理にも携わっていた父、新介の下で、その時代の文化の粋を吸収しながら育った小堀遠州(作介)。彼という一人の人間を通して、夢窓国師の時代から連綿と受け継がれてきた日本の作庭文化やそれを支える技術、利休、織部の流れを汲む茶道などといった、それまでの日本に蓄積されていた文化が、一種変容しながらも、一気に発露していったのだろうと思います。当研究会は今回第八回を以って一旦休講となりますが、また機会を改めて再開させていただければと考えております。ありがとうございました。
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| 5月 |
第7回 岡山名園見学会 05/05/27
イベントページに詳細を記してあります。>こちら
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| 4月 |
第6回 茶室と庭園との関係 05/04/09
茶室と表裏一体をなす、草庵のための露地と、もうひとつの発展形としての書院式の庭。亭主と客が茶事に及ぶにあたって心構えを整えるための精神的な装置として、それぞれの庭が持つ意味を、金澤氏が過去に撮影された数箇所のスライドを鑑賞しながら考察しました。
上映されたスライドは、以下の通り。
千家第二世千宗旦による、表千家唯一の草庵式茶室である不審庵。
一時遠州にも学び、千宗旦四天王の一人でもあった藤村庸軒の手になる黒谷・西翁院。千家第二世千小庵の隠居先となった、夢窓疎石作庭の西芳寺内に位置する湘南亭。
個別ディテールとしての、蹲、飛石、袖垣、苔、中潜り、役石の意味やデザインを観た後に、露地のルーツを探るべく修験道に話は及び、最後には三佛寺投入堂のスライドまで上映されました。
また休憩時間を利用して、表千家、遠州流をされているお二人の参加者によって、お茶が振舞われるひとコマもありました。
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| 3月 |
第5回 伏見奉行屋敷と遠州のお茶(2)05/03/12
武家制度からの要請に基づいて作られた松翠亭と、八条宮をもてなすためだけに作られた転合庵という、ともに伏見奉行所敷地内にあった二つの茶室の比較検討を行いました。具体的には、松翠庵においてにじり口を隅ではなく中央に付けることで茶室に階級制度を持ち込むなど、表面上利休の草庵形式から離れていったかに見える遠州の工夫や、さらに転合庵においてはにじり口を廃し、南側に大きな開口部を設けた意匠・機能上の斬新なアイディアが、建築家である金澤氏の視点から解説されました。そして、それまでの「露地」という茶道における限定的な庭(ランドスケープ)から、庭園と一体になった茶室という新領域が生まれる起点となった転合庵の重要な位置づけを知ることとなりました。また、先月の待庵に続いて、同じく国宝茶室の一つである密庵のスライド上映、遠州流茶道の「夜噺」の解説ビデオの上映も行いました。
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| 2月 |
第4回 遠州とお茶 05/02/05
小堀遠州が、その天分を発揮し足跡を残した分野は、庭園、建築、書、陶芸、茶道具と、実に多岐に及ぶ。今回は「遠州のお茶」をテーマにしての開催であったが、その人となりを知る端緒として、まず遠州自身が書いた手紙を参加者で読み合わせることから始めた。定家流で書かれた直筆を活字に直したものを読み、その中から、多分に「遊び」の心を持っていたであろう、遠州の人となりを垣間見ることが出来た。また、時系列に全体をおさえる意味での「幕閣の茶人」の読み合わせで、幕府から織部、遠州が武士を統率するための茶道を求められる中で、如何に身分制度を反映させていくことになったのかという背景、意匠への工夫などを知った。その後、山崎妙喜庵待庵のスライドを見ながら、金澤氏による利休の茶室建築のディテールへのこだわりが解説された。最後に遠州流茶道の解説ビデオの鑑賞を行ったが、ここまでで予定時間を1時間延長することになり、遠州好みの密庵のスライド、遠州流ビデオの続編鑑賞は次回に繰り越されることとなった。
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| 2005 |
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1月
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第3回 伏見奉行屋敷 05/01/15
第3回は、荒天の中、約30名の参加者で会場はほぼ満杯となりました。今回は、一旦金地院を離れ、今は現存しない伏見奉行屋敷をテーマにしましたが、参考資料として金澤氏自身が執筆されているランドスケープデザイン誌の連載を用い、重力にしか依存できなかった時代に、生活用水としての機能、かつ、意匠としての水を、地形を活かしながら如何にデザインの中に収めていったのか、その精緻さについて、活字だけでは伝えきれないところまで図面を前にしての解説がなされました。
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| 2004 |
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| 12月 |
第2回 金地院庭園-(2) 04/12/18
2004年12月18日、新たに6名の新規参加者を迎え、再び京都の金地院をテーマに開催しました。今回は、徳川幕府がその基礎を固めた時代の趨勢を読みながら、茶室と庭の設計という当時のランドスケープデザインのプロトタイプを構築し、また徳川家の茶を確立させた小堀遠州と、漢文の才を持ち、武家諸法度、公家諸法度を起草するなど家康の信頼を勝ち得ていた以心崇伝という、二人の人物像に関してまで議論が及びました。江戸時代の初期、言い換えれば、新しい日本の枠組みが形成された時代に、金地院の住職であった崇伝と遠州の残した足跡に関して、これから回を重ねて行くにつれて更に新しい事実が見えてくるはずです。
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11月
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第1回 金地院庭園-(1) 04/11/13
第1回目は、「金地院庭園」をテーマに11月13日(土)に総勢28名の参加という盛況の中、開催となりました。前半の1時間半で、日本庭園史体系などの資料の読み合わせを行い、後半の1時間半は、金澤良春氏を中心に、各種実測図を基にした解説そして議論が行われました。
その中で、小堀遠州と以心崇伝との関係、封建身分制度を明確にする卓越したゾーニング手法、そして、茶の湯の世界をはじめ当時の時代背景から、金澤氏による当初計画推測図、等高線入り平面図、断面図まで、一般に現存する資料だけではわからない様々な角度からの考証が行われました。
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