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環境、気象、経済、政策など地球上で起きている様々な事項や現象について、ゼリスケープをよりよく理解するための専門用語を、事例を交えて解説します。 ************************************************************** 第4回 水利権
慣行水利権は、現在の日本の総かんがい面積の3割程度残っており、農業用水など昔から使用されている水について優先で、かつ必要と宣言された量が配分されている。実際、現在利水可能な水の多くは、地域における先祖が営々と管理してきたものである。農業用水利における水利とは水位で把握されるため,量に関する情報が明確でなく、また使用状況についても正確に把握されていない。また、許可を受けていても放置されている状態の遊休水利権も存在する。これらは他の緊急に必要な水利使用を排除し、望ましい水利秩序を乱すものとされながら、その対策は進んでいない。 新たに表流水水源から取水する場合,水利権を手に入れることが必要である。河川法には、「河川の流水は私権の目的となることはできない」とされており,水利権を購入することはできない。このため、新たに取水をする場合、水利権の譲渡を受けるか、水利権を新たに創出することが必要になる。水道のように、その水系の水利権が確定した後から水利権取得しようとすると、「河川において自由に使える新たな水量」をつくりださなければならない。このためには、降雨などを貯留することで河川の流達を制御し、必要なときに必要な流量がある状態を新たに作る必要があり、これがダムを建設する理由になっている。このようにして得られる水利権を許可水利権という。農業用や漁業用として確保されている慣行水利権は、許可水利権に移行することになっているはずだが、元来日本は「農業立国」で一種の既得権益のため、この作業は十分には進んでいない。 しかし、水系全体を見直す機運は高まっており、今その必要性に迫られている。 まず、川を流れる水は公共のもの、という考え方はどういったものなのだろうか。大都市近郊の水田が宅地に変われば、稲を作るためのかんがい用水は不要になり、逆に、増加した住民への生活用水が必要になる。かんがい用水を生活用水に振り替えれば、問題は解決されるはずだが、かんがい用水の権利を持つ農民が、余った水を市の水道局に直接売ることは、制度上認められていない。この場合は、余った水の権利は、河川を管理する国や県にいったん返上し、その後あらためて市の水道局に再配分することになっている。ここには金銭のやり取りは介在しない。水は公共のものであるから、農民と水道局、もしくは水利用者間、での水利権の直接の売買はなじまない、というのが、世界の多くの国での現在の考え方である。これは、国などの公的な機関が、ダムやかんがい施設、堰などの水資源の開発や、川や水の管理を行ってきた、という歴史的な背景によるものと思われる。 これらに対して、この制度では水が無駄に使われている、という批判がある。例を挙げると、米国コロラド州では、電気の需要に供給が追いつかない電力危機にあるにもかかわらず、かんがい用水を水力発電に転用することなく、生産過剰のジャガイモの耕作にいつまでも水が使われているのといった実例があった。これは農民が悪いのではなく、極端にいえば農民には、水を使うのか、水利権をあきらめるのか、という選択しかないという点が問題なのである。水を譲ってもなんの得もなければ、その気にならない−インセンティブが働かない−のは当然である。 きちんと料金をつけて、適正な対価を支払って融通しあうことで、水を効率的に使用しようというのが、民営水道の考え方であり、今米国では水道局の民営化によってその解決が図られている。 実際に、水利権の体系は国によってかなり異なる。基本的には先行取得者優先である点はほぼ一緒だが、水資源のひっ迫度や法体系,文化などによって変わり、日本は行政認可の制度であるのに対し、中国は国家所有、米国では市場経済化が進められている。 世界で自由に水利権を売買する制度を持つのは、オーストラリアとチリのみで、まだ限られた国でしか行われていない。世界的にも実例が乏しいので、実際問題としてこの水利権の売買により、水資源がうまく管理できるかどうかは、まだ未知数といえる。例えば極端な渇水がおきた時、十分に対処しきれるかといった問題がある。しかしながら、何事にも市場原理を重視する、グローバリゼーションの風潮の中、水資源管理の有効な手法として、今後多くの国で採用されていくことが予想されている。 実現にあたっては、次のような問題点が解決されなければならない。 河川の流量や利用者の使用量を、どうやって厳密に常時計測するのか、また違反するものがいたらどう取り締まるのか、といった運営上の問題だけでなく、貧しい農民(国)が金銭目的で、水利権を安易に手放してしまったり、大資本が買い占めたりといった貧富の差の問題や、農業用水、都市用水、産業用水など違う目的の水を共通の市場で競争させることが適当かといった問題や、競争原理で環境への影響が軽視されるのではないかといった指摘もある。 「20世紀は石油の世紀、21世紀は水の世紀」といわれているが、これは水が石油のように、利権や国際紛争の火種になりうるという意味でもある。人口は増えているにもかかわらず、水の総量は昔から変わらないため世界は確実に水不足に直面している。特に途上国などでは急激な都市化と産業化が進み、水の浪費と汚染が進んでいる。つまり、人間が使える水は確実に減りつつあるのだ。 水利権をめぐって南アジア、アフリカなどでは地域紛争も頻発しており、中東の紛争の背景にはイスラエルと近隣諸国の水利権問題も絡んでいる。世界的に見て、日本は食糧などに形を変えて仮想水として大量の水を輸入している現状から、水危機は大いに関係のある問題である。また、国内の水利権においても、世界の動向に目を向けながら積極的な改革が必要であるといえよう。
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企画:森山晶子 |
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