vol.9 08.5.15

環境への価値観              

 

 

 

 4月初旬に春雪があった。連休は夏日のような暑さで庭の草木は、日に日に勢いを増す。と、思

えば急に温度が下がり、先週末は薪ストーブが復活。例年にない?温度差は15度も違う、季節は

ずれの常盤の春であった。これも地球温暖化のせいなのだろうか?

話題は環境の話である。今は、まさに環境の時代であるのだろう。そして、環境といえば地球温暖

化であり、ゴミ問題に食の安全にエネルギーと、まるで地元の季節セールのチラシのようである。

まーあ、とりあえずは、世間は二酸化炭素を減らし、ゴミ問題にとり組んでさえいればいいような

・・・そんな企業と消費者の声が聞こえてくるようだ。


ところで、中央アジアのカザフスタンとウズベキスタンにまたがる、アラル海を知っているだろう

か?面積は6万6500平方キロという世界で第4番目の大きな湖である(・・あった)。この地域

は全般に乾燥した地域で、そこを流れるシル・ダリヤとアム・ダリヤという二つの大きな川によっ

てアラル海は養われる。アラル海から流れ出る川はないために、水は蒸発によって失われるのみで

ある。

カザフスタンは旧ソ連の一国である。ソ連はこの地域に軍事基地を造り、核実験や次々と人工衛星

を打ち上げてきた。しかし、この地域に住む人たちには、それはまったく知らされていなかった。

そして、多くの人は放射能障害に苦しむことになる。また別の地域では牧畜をやめて農耕に移るこ

とを推奨される。ソ連政府は乾燥した土地に、アラル海へ注ぐシル、アム両河川からの水を引き、

灌漑してきた。畑は立派になる。が、その分、川は涸れていった。養ってくれる水を失って、アラ

ル海もどんどん小さくなっていった。そして数10年ほどのうちに、かつての4分の1ほどになっ

てしまった。水量が減るのに伴って、湖の塩分濃度も高くなっていった。元々淡水湖であったアラ

ル海は、土の塩性化が進行しはじめ塩水湖に変わり、魚は死滅し作物も収穫が出来なくなった。

その為に土地は荒れてしまったのである。


こうしてアラル海もその魚も失われ、土地も失われた。この地域の人々は大量に環境を失ってしま

う。このことは世界で最も知られたアラル海の真実である。


本題はここからである。つまり、これには、じつにさまざまなことが関わっている。牧畜から農耕

へというのは、まず住民の産業と経済の問題である。つまり、ソ連の国家経済の問題も、当然から

んでいることになる。農耕をおこすための水は、たしかにあった。それを汲み上げ、遠くまで運ん

で土地を濯漑するための技術も進んでいた。人々は、川の水をどんどん利用した。砂漠は豊かな畑

となり、未来は明るいものに思われた。しかし、そこには、あの時代のあの国の価値観があった。



人々の価値観が変わるのは、容易なことではない。しかし、ものごとの大きな流れを決めていくの

は、その価値観なのである。



価値観は、二酸化炭素濃度のように数量的に計ることはできない。まして、それを時間軸のグラフ

にして、その変化を示すこともできない。けれど、多くのいわゆる環境問題は、そこから始まって

いる。人間は、自然と対決し、自然界の法則に関心を抱き、何とかそれを利用して新しいものを

作ろうとしてきた。その結果、人間自身は成長したが、しかしその反対も生まれた。


『農業は人類の原罪』(コリン・タッジ著・竹内 久美子・翻訳/新潮社)という本がある。この本

には多くのことが論じられているが、今関係のあることは、人間は農業をはじめたことによって食

料を確保できたけれど、その結果人口が増えはじめ、それを養うために農業をたえず拡大せねばな

らぬ悪循環に陥ったという試論である。


それはまさにその通りだと思う。かつて第三世界における農業の生産性を抜本的に高めた「緑の革

命」の成功が声高々に讃美され、これで第三世界の食料問題は解決されると、世界中の誰もがそう

思った。しかし、その結果は著しい人口増となり、第三世界の悲惨さは解消されるどころか、さら

に新たな人口問題を生むことになった。今日では「緑の革命」は大きな失敗であったと思い始めて

いる。中央アジアの大湖アラル海の事実上の消滅も、農業の拡大が引き起こした悲劇のひとつであ

る。


常盤に移り、農業を身近に見つめ自然を観測するうちに、そこに多くの疑問が生まれる。環境への

価値観である。私のような仕事をしていると、多くの矛盾が日常茶飯事的である。それでも矛盾を

押し殺しながら日々の生活を送らなくてはならない。寒ければ寒いと薪を燃やし・・暑ければ暑い

と扇風機をつける。緑、水と土の大切さを訴えながら除草剤も使うこともある。本当に毎日が矛盾

と挫折のなかにある。これもいいわけであるが、それでも「自然のその価値観」の中で奮起してい

る私自身がいる。

友人の科学者やランドスケープ、あるいは農業生産者は、その価値観が果たして・・社会に受け入

れられるのだろうか?ある時期、時間のタイミングのような気もする。国や地域、人種、宗教によ

っても違う。環境に対する社会的価値観とは、それがいつ広がるのかでもあるように思える。



是非読んでみたい一冊。「農業は人類の原罪である 」コリン・タッジ (著), 竹内 久美子 (翻訳

 

兼久 

 

 

新潮社

 

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