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vol.7 08.3.03
春へ
テレビの気象予報によれば、東京は晴れが続いている。常盤でも日脚(ひあし)が伸びて明るくな

った空の下で、庭の雪も浅くなってきた。少し太った夏椿(なつつばき)の枝の芽が、山脈の風に

ゆれている。所々で黒い土が見えている隙間には、野草の蕾が背伸びをするように並んでいる。

春のぬくもりを少しずつであるが受け取っている。

春はどこからどこまでをいうのだろうか?という不安な人のために。拙著『撫育草そだてくさ』

(2000年3月発売・都市文化社:現在は絶版)から引用すると、

・・・「三月・弥生(MARCH)陰暦では・・・やよいという。また、すべての草木が春の暖かい

陽ざしにつつまれて、・・・・いやがうえにも・・・生えることを、弥生といった。太平洋側(

表日本)の南の地方からは春の気配が近づき、日本海側(裏日本)の北の方ではまだまだ雪におお

われている。しかし徐々に雪解けも始まり、シベリヤ方面からの寒い北西季節風と入れ替わりに南

東風が吹きこんできて気温が下がることもある。日本は北から南へ細長いため、春の訪れかたもさ

まざまである。このころから桜前線が北上を始め、陰暦では「三月さくら花見月」といい、春は九

春とか三春と呼ぶ。九春は春九句(90日の意味)。三春は、初春、仲春、晩春の3ヶ月のこと。・

・・」(以上、本文に加筆)

さて、解説はこれくらいにして、長野県の緯度は北緯36度40分である。これは北アフリカのアル

ジェリアの緯度と同じであり、中欧や北欧から見れば日本は「南の島」になる。その南の島に、豪

(ごう)の屋根までとどく雪が積もるのである。調べてみる・・と、日本は世界でも指折りの「雪

国」であるようだ。しかし、そのことを、ここに住む人たちは特別のことと思ってはいない。そし

て、もう一つの特徴は、「天気の国境」をへだてて「冬晴れ」と共存していることで、日本の雪が

世界的なら、冬晴れも世界的な国であることである。

例えば、12月の月間日照時間の平均は、東京171時間、長野134時間、コペンハーゲン18時間、

レニングラード9時間、モスクワ19時間、ロンドン34時間である。東京がいかに冬の日照に恵ま

れているのかがわかる。この数字の相違は、緯度の違いにもよるが、大部分は天気(1)の相違に

よるものである。このように「冬晴れ」日本と共存することにより、日本の雪国の面積は日本全土

の約53%に限定される。そして長野県のように、雪国と冬晴れ地帯の両方にまたがっている県で

は、深雪地域は県の一部に限定される。信越線にそって数地点での1月の月降水量を気候表で調べ

てみると、高崎24�@、軽井沢30�@、長野62�@、野尻197�@、赤倉349�@で、降水量は長野から北

で急増していることがわかる。冬の降水は主として雪であるので、この場合は雨量に換算して�@で

表してある。1�@の降水とは、積雪に換算すると、雪質によっても異なるが、新雪の場合は1cmで

ある。この数字を見ると、「天気の国境」は長野市の北にある。境界線は中野市の高社山(たかや

しろさん)から大町市の中綱湖、もしくは北安曇白馬村の佐野坂を結ぶ地帯である。このあたりで

は、一里一尺(2)ということわざがあるらしい。一里北へ行くと一尺の割合で積雪が深くなると

いう。「まあ終の栖か雪五尺」とよんだ小林一茶の生家は、長野市の北方、約五里の距離にある。

一里北へ行けば一尺深くなる一これは冬晴れ側からのいい方で、雪国からいえば、一里南へ行けば

一尺浅くなるのである。わずか一里の差が、人びとの暮らしに大きな違いとなって現れている。日

本の冬の天気は、ひどく不公平なのである。

冬晴れ日本と共存することによって、雪国に生まれた人には、二つの選択が与えられたようだ。雪

とともに暮らすか、それとも「天気の国境」を越えるか、である。常盤はまさに、その天気の国境

に位置しているようだ。 偶然であるが、なんだかランドスケープとして運命的なように思える。

この境界にいることが、だ。

ついでに言うと、一茶の句「まあ終の栖(すみか)か雪五尺」の意味は「死ぬまで住むことになる

最後の家のことで、 50才で信濃の国(長野県)に帰った」ということである。ふりかえって私は55

歳でこの地を選んだ。

話をもどすが、これらを考えると、これまで多くの人が、第二の道を通ってきた物語である。日本

の工業化が始まった明治のころにできた「表日本」と「裏日本」という言葉は、昭和30年代中頃

まで、ラジオ、テレビでも、あるいは気象予報でも、何の抵抗もなく用いられていた気がする。今

では差別用語と見なされ、使われなくなったようだが、これに関係がある話として、日本全体が雪

国なら、雪の問題はもっと違った形で解決されてきたにちがいないだろうと思う。冬晴れ日本の存

在が、少なくともこれまでは、雪を「裏の問題」としてきた。ある意味で自然と人間の国境をつく

ってきた、地方と都市である。そのことは、今日に置き換えても、政治、経済、企業、教育までも

が、人間自身の「裏の問題」と重なっているような気がする。時代と共にそのことが、豪の屋根ま

で積もり続けてきた真実だろう。

また、それとは別に「南の島の雪」のもう一つの特徴は、年々の気象変動が大きいことである。こ

れも、ただ気象変動だけとしては考えられない。日本列島の中で自然と生きることは、様々なこと

に影響される。日本列島の資源は有限である。私は「渇水の国境渡り実りなし」と記しておく。


注

(1)天気=人間の生活に影響を与える大気の状態のこと。広い意味では、ある時刻、または長く

ない時間帯における気温、湿度、風、雲、降水、視程などの気象要素を総合した大気の状態。数日

以上にわたって長い時間帯の場合には天候という。

(2)1里= 36町≒3.927キロメートル。1町 = 60間= 360尺≒109.09メートル。1間= 6尺≒1.

818メートル。1丈 = 10尺, ≒3.03メートル。 1尺= 10寸=10/33メートル≒0.303メートル。

兼久 

常盤の空
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