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vol.5 08.01.10
正月
年末から年始にかけて雪が降り続いた。この時期にしては珍しいという。積雪は50cm位。

それでも例年に比べ少ないという。これも温暖化のせいだろうか? 

東の山々にうっすらと太陽が昇る。オレンジ色した朝日が、雪解け水の雫を照らしながら屋根瓦

を伝わり輝きを見せていた。田んぼとあぜ道は真っ白に覆われ、あの夏の稲は夢の中である。

常盤に来て始めての正月を大雪とともに迎える。


そして、この日は善光寺参りである。東京にいれば、友人と一緒に何十年も続いている伊勢神宮参

拝の恒例行事があったが、今年は別の機会にし、改めて善光寺にした。

本堂でお線香の煙を身に染み込ませ、清められた思いで参拝を済ませた後に、参道を散策。久しぶ

りの正月らしい穏やかな雰囲気に包まれていた。 

そのときに、気づいたことがある。日章旗を目にしない。今まで気づかずにいたのだろうか?それ

とも、もともとなかったのだろうかと?正月といえば、どの家の門や玄関、あるいは商店街にも、

日章旗が掲げられていたような気がした。いつごろから飾らなくなったのか覚えていない。しかし

こんなことも気が付かなかった正月を送っていたことに、なんだか変な気分である。そういえば、

人も物も形も、そして日本の風景も変わっている。時代と共に正月は変わり、昔、幼いとき、家族

で参拝した神社や寺の境内の焚き火に身体を温めた記憶をたぐるが、今やこれも幻のようだ。すべ

ての物が、人も形もそして風景も変えてしまった。時代と共に正月は変わり、伝統や文化、行事は

消えていき、正月はもはや国民的な冬休みという行事に変わってしまったのかもしれない。と思っ

た。しかし、せめて日本国、正月だけでも家族が集まり共に過ごす時間を作りたい。そこから家族

の絆が生まれ、それぞれの地域の伝統や文化を支えてきたように戻せるものならば。と願いたい。

特に今の時代だからよけいに、そういう時間が必要だろう。正月とは家族が集まる、そのような行

事の気がする。今の私だから言えるが、私も気付くのが遅かったようだ。


さて、今年の抱負はというと。実行のみで突き進むだけ、つまり常盤の完成とランドスケープに於

ける技術提案と研究の充実である。・・・それと北アルプスを歩くぞという意気込みであるが、庭

の雪かきを兼ねたトレーニングも、腹筋を鍛えるトレーニングマシンも自転車マシンの30キロも

長くは出来ない。息絶える結果である。いずれにせよ、1に体力、2に体力である。今年は忍耐と

体力と行動の年であると言い聞かせ新たな決意をする。が、見上げる山は、美しさと輝きを増しな

がら、私を見下ろし何か言いたそうである。


夕方、温泉に出かけた。地元の小さな湯につかりながら、今は極楽〜極楽と筋肉痛を癒すだけ、露

天風呂から見る北アルプスの山々の中にある「鹿島槍ヶ岳」に向かう決心を再びする。その前にや

はり、まずは何よりも健康でいられる一年であることを祈り、風呂上りに地元の牛乳でチュウ〜と

一杯。とても良い正月のようであった。


多くの人に、新しい出会いと夢。そして争いごとのない、人間として穏やかな充実した時を過ごせ

るように祈りたい。合掌。

兼久 

左)常盤の庭:右)玄関の鳥の鐘と照明(夕刻) ともに1月2日撮影
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