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vol.4 07.12.18
冬を迎えた常盤
懐かしい友人が常盤を訪ねてきた11月中旬に初雪が舞った。薪ストーブの炎が陽炎のように揺れ

る中の一献であった。外灯に映し出された雪は、冬の到来を告げ北風に舞うようにきらきらと輝き

、かすかな音色を奏でている。


翌朝、朝焼けの雪を見て子供のようにはしゃいでいた我々である。

軽い朝食をとり、雪に埋もれた車を心配そうに見ている私に「雪もいいもんだね・・・」と彼は言

う。しかし、この雪がこれから先に、私の年齢と共に重くのしかかってくるのだろうかと思うと喜

べない。

季節と共に生きるということが時代とともに薄れた、都市生活者の中では想像もしなかったことで

ある。思えば雪国の人たちは、身をもって季節と共に生き、自然は特別なものではなく生活や文化

を育てながら暮らしを守ってきた。そう思うと、私の田舎暮らしが少し恥ずかしい。


今年も色々あった年である。季節はずれの台風からはじまり、豪雪や雪不足、旱魃に猛暑、水害に

山火事に汚染。政治や企業の腐敗。そして食品の倫理、様々な驕りとずさんさが重なった。印象に

残る事件は、身勝手な数々の殺人事件が日常的に報道される。怖いことである。しかし、どれも元

をたどると、我々人間側に大きな問題がある。経済成長と共に発展した日本で、我々の社会のルー

ルは過剰になり、なりふり構わずどこかで無視しているのだろう。それがいつの間にか、暗黙のう

ちに非情な社会を作り出してきた。そしてその社会で育った我々は、時には無気力で無責任な行動

を引き起こしてきた。自然も人間も確実に大切なものを失っていることは明らかである。


ある友人が、悲観的な話ばかりしなくても・・という。しかし、事実、地球温暖化、エネルギー問

題や京都議定書も本質から外れている。やはりおかしいことは沢山ある。

明るい話をしよう。いよいよ来春には常盤研究所が完成する予定である。水、緑、土から学べる場

所である。夢を追い続けた私の30年間だったようだ。少しの勇気と行動力と努力さえあれば、か

なえられるように思えてきた。いろいろな人が助けてくれる。近所の農家のおばあさんは、取れた

ての野菜をくれたり、また大工のおじさんは、薪を届けてくれたりする。この研究所は、様々なも

のが実験できる可能性を秘めている。科学的に分析した無農薬ブランドの野菜作りから、灌水技術

に関する実験もある。特に灌水については、植物に供給する水について、長年の気象観測基礎デー

タをベースに、正しいドリップ技術を使うことで水エネルギーの節約にもつながる研修ができるよ

うになっている。自然と科学、あるいは未来の技術を公開する。今私が出来ることは沢山あるよう

だ。そして、それに向かって一歩ずつ前進するだけだと思っている。


庭の片隅に、季節はずれの迷子の虫が、陽だまりのススキの穂の上に止まっていた。季節は巡り、

冬を迎えた常盤には自然が宿る。神様が住んでいるようである。その神様と仲良く暮らすことが今

の私にとっては大切にしたいことである。今年も命の尊さに感謝している。

兼久 
まだまだ若い?
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