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vol.2 07.10.09

季節の楽しみ(朗読篇)

 

今年の夏は本当に暑かった。そして厳しい残暑であった。

「天高く馬肥ゆ」

秋空は澄み渡り高く晴れる、しかし馬肥ゆは見られず、耕運機の音が響き燃料費は肥ゆ秋。

庭の草木も色あせ、常盤の舞台は、日に日に冬を受け入れはじめている。立春から始まり、庭を我

が物顔で舞い演じてきた主役の草木たちも、晩秋を迎えている。背景画のようなクモの巣も脇役の

ような蛙や蝶、蜂に山鳥、そしてトンボもコオロギやバッタやカマキリも、静かに演じ終えはじめ

る。


あぜ道の稲の焚き火の煙も天に吸い込まれるように舞い上がり、風は踊りクライマックスを迎えて

いる。星は輝きを増し宇宙に広がる。幕間のような時を過ごすように、庭の草木を眺めている。

と、出会った数だけ主役の顔を思い出す。秋の風を運び香るとき・・楓が頬をそめていた。


次に、幸田 文の中にある「季節の楽しみ」を朗読してみたい。ここに記しておく。常盤のシュン

は読書の秋である。

 

 


朗読:小出兼久
原作:幸田 文「季節のかたみ」より
出版:講談社(1993年初版本) 
季節の楽しみ(原文:1978年10月)


 季節の移りかわりを見るのが、私は好きです。好きというよりは、もうそれが習慣のようなものです。特別に見ようとするわけではありません。ひとりでに気持ちがそう動くのです。つまり癖になっているのだと思います。
 心にしみ入るような、素晴しい季節の情趣に出違ったときは、ほんとうにうれしゅうございます。けれども、それよりもっとうれしいのは、人の話をきくときです。誰かが時にふっと、すぐれた季節感を話してくれることがあります。そういう話をきいたときは、手を取って一歩ひきあげてもらったような喜びがあります。私は、自分が探す季節も、人の語る季節も、どちらも一緒に好きなのです。
 石油さわぎのせいでしょう、この冬ひと頃は、人に逢うと、よく季節のことをいわれました。早く三月が来ればいい、はやく彼岸になればいい、といった会話です。それが、寒も終りに近くなって、これから立春、余寒と、もっともきびしい寒さになろうとする時には、もう彼岸が待たれるなどと話す人はなくなりました。石油さわぎが、その奇怪ななりゆきのまま、やや下火の気配をみせはじめたからです。
 石油のことは別にして、石油にからんでここで語られた三月とか、彼岸とかいうことに、私はひっかかってしまいました。石油の涸れにおどろけば、忘れていた季節を急になつかしみ、石油が足りるとなれば、また忽ち、振向きもしなくなる三月であり、彼岸なのです。自分の家に適当な暖房さえあるなら、冬という季節も特にどうということなく、待たなくても春は来る時には来る、といったほどの関心しかない、というように受取れます。これではあまりにご疎遠な季節とのつきあいです。
 思い返してみれば、終戦の前後には、季節に親しみをもつ人が、まだまだ多かったように思います。洗濯物の乾き具合で、春の到来をたしかめるという奥さんがありました。どんなに天気のいい日でも、冬のうちは乾き方がとろんとしている。春がきざせば、それが力のある乾きになる。ことに純綿物は、糊をしたかのような張りをみせて乾く。
 だから、その日そういう手ざわりで乾けば、暦よりも実地で、自分は自分なりの、確かな春の手ごたえをうけとっているのだといいます。手さぐりで春を待っていて、ある日、ああ来たな、とさぐりあてたときは、毎年のことながら、なにかこうぱあっとうれしいそうです。
 ゆかたの色で、秋の予告をきいてしまうひともありました。ゆかたの模様は多くは白と紺で成立っています。白地に紺染め、紺地に白抜きです。ゆかた独特の、闊達で引立つ配色です。白も紺も、両方とも負けずに強い色なのです。それが、見た目の感じに白のほうが際立ってしろじろとみえたときは、もう秋が来ているのだ、とその人はいうのです。
 寒暖計はまだ夏の目盛を指していても、天空高いどこかにはもう秋が来て待っているのだから、ごらんなさい、広葉樹の葉っぱの緑はもう濃くはない、やがて紅に黄にと色を変える下準備をはじめている証拠です、といいます。ゆかたの白と、広葉樹の緑で判断するのは、いかにもおんなの目が掴む季節です。
 私もそう聞いてから、浴衣の白にカンを立ててみましたが、なるほど晩夏には、紺がへこんで白が勝って見えることがあります。大気の清澄度のせいか、陽光の色調のせいか、それとも秋冷が白色を嫌うのか、よくわかりませんがとにかく白は、調和の納まらない、ことごとしい感じがあります。いまも私はこの季感を大切に思い、晩夏の着物に白い色は用心しています。
 若ければ秋を取って押えて、逆に白い衣裳で気品を装ってみょう、ということもありましょう。が、老いての秋に、へんに際立つ白い柄のきものなどは、さぞすさまじく見えましょう。そんなお婆さんが夕暮れの廊下へ、もしひょっと出てきたとしたらと、ああもう思っただけで肝がつぶれます。しかし、初夏盛夏には、痩せ形の老女の白い蚊絣などいいものです。浮世の重荷も背負い遂げた、といった如何にも軽ろやかな感じがあります。

 

 駅へ行く途中に、原っぱがありました。夏は気味の悪いほど、丈高く繁茂しますが、今は下枯れで嵩減りし、まだ青いところと、もう茶色に枯れたところとが、ぶちぶちになって見渡せます。その草ぼうぼうへ向いて、労働着姿の男が佇んでいました。知っている人です。同じ隣組の一軒に寄宿する人で、奥さんと二人、裸同然で南方から引揚げてきて、とにかく体力を資本の労働生活だときいています。いまはその仕事帰りとみえます。でも、どうしてそんな原っぱのへりに、肩を落して立っているのでしょう。なにを見てぼんやりしているのでしょう。ちょっと妙な様子なのです。おかえりなさい、といってみました。
「毎日ここを通っているんですが、今はじめて気がついたんです――もうすっかり秋になってるんですねえ、こんなに枯れて――」
 朝夕日に二度、いやでも見て通る筈の原っぱです。それをいま急に、枯れていると驚くのは、間抜けもいささか度が過ぎて、笑いたいのが笑えません。あまり真面目に感じ入って淋しげであり、固い表情でした。
 見れば着ているものも、ちゃんと秋のものです。うちへ帰って夕食をすます頃には、このごろは裏口でこおろぎも鳴いてる筈です。路地の両側ずっとの隣組は、どこでもこおろぎの鳴かないうちはないのです。どう思って着、どう思って聞いていたのか。よほどそうからかいたかったのですが、まだぼんやり眺めているのです。
 男が突然こんなに秋を感じて、呆然とすることがあるものでしょうか。気になりました。あの表情にうそがあるとは思えないし、とすると、身辺一帯の秋を彼は、見れども見えず、聞けども聞えずだったのだろうか、と考えられました。なぜか。理由はすぐにたくさん見付かります。彼のこれ迄の経歴、現在の生活がその理由でしょう。外地にやっと築いた生活、戦争、身一つの引揚、焦土の故郷、気がねな寄宿、生活の不安、労働の苦痛、将来へのあせり――原っばの季節、雑草の秋などは、目を素通りするだけのものだったのでしょう。
 しかも、その秋をほんとに見て、気付いたとき、どんなふうに心がうごいたか、察するにあまりあります。上辺はまだ青くとも、足下は茶色にそそけて、風吹くごとに雨降るごとに、やがて倒れていくばかりなのが、よくわかるではありませんか。きっと、とっさに我が身にひきあてて、やりきれない思いがしたと思います。ほんとに気の毒なめぐり合わせだったのです。
 四つの季節には、それぞれの美しさやよろこびや快さがあり、同時にまた惨さ、悲しさ嫌わしさもあります。同じ秋ならまっ赤な楓、まっ黄いろな公孫樹(いちょう)、柿粟のみのり、澄んだ空、結ぶ露、食器の音、家人の声のもの壊しさなど、いくらもいい秋があるものを、なんと不仕合せなことに、彼の目は秋の無惨、秋の悲愁を見てしまった、と私は推測しました。
 その後私は引越したので、その人の消息はそれきり知りませんが、なまじあのとき声をかけたり、あれこれ思ったりしたせいか、きっとあの人はあの原っぱでの思いを、いつまでも忘れまいと、思出すたびに気の毒になるのです。これは気分のいいことではありません。そのうち自然に、こんなふうに考えました。
 植物に向光性があるように、人にも好幸性――これ私の造語です、ご勘弁下さい――があるから、そのショックも傷みばかりとは限らない、かえってそれが切掛で、あの人はいい秋、いい季節をたくさん拾っていくかもしれない、と思いついたのです。そうあれかし、と思うのです。でも、おかしくなります、私はいったい、誰の好幸性の上に、こういう筋道というか、成行きというかを、仮定しょうとしているんでしょうか。正直なところ、あの人とあの原っぱとを組合わせた季感には、私も相当なショックを受けたのだと思います。だから先ず自分が、好幸性でその後遺症から逃れたいのが本心です。
 手に確かめて季節を知るひと、季節を先取りするのが好きなひと、さんざ素通りしたあげく、急に季節に対面して、凝然呆然とする人、さらにその呆然にお相伴して、未熟をさらす人。人は季節を語ります、が季節もその人をあばきます。
 とにかく以前には、なにかと季節へ交際をもつ人が、今より多かったと思います。今はほんとはどうなのでしょう。奥さんがたは、石油がなくなると彼岸を思出し、値上がりはしたがどうにか手に入るとなれば、たちまち春ともいわなくなるとは、まず関心放棄といったところでしょうか。家庭の主婦がそうでは、子供たちも独りでに無関心になります。
 あるひとがいうには、主婦を責めることはない、環境がわるいのだということです。第一に家の中に季節が少ない、野菜はきゅうりもキャベツも一年中あって、季節はない。さかなは夏のうちにさんまが取れたり、蟹は冷凍ゆえ、いつがシュンやら魚屋も教えたがらず、ましてかた仮名で名を書くさかななど、季節が不明は当然のこと。
 鶏肉はもとから無季、鴨や鶉は名ばかりの高嶺の花で、姿さえおぼろ。苺は冬から出はじめて半年間、菊の花はいまや季なし。ドアとウインドの住居では、障子張替の季感などなく、一歩外へ出れば交通地獄、密集住宅、ノッポビル、雨もうす汚なく降るし、風にも悪臭がある。大体いまの都会からは季節なんか消滅している、と仰せです。
 ごもっともです。昔のままの風物にしか、季節がないというのなら、その通りです。でもきゅうりや菊が一年中あろうと、コンクリ製の高速道路がのたくろうと、何十階ビルの建設にヘリが鉄材を空からおろそうと、それで季節が消え去ったとは、肯けません。それらがあろうとなかろうと同じです。季節は、促成栽培のビニールハウスにも冬の雨をふらせ、高速自動車道路にも夏の風を差別せず、クレーンの爪にもパヮーショベルの刃先にも、露の飾りを惜しまないのです。
 もっというなら、集荷日のごみの山にも、人に嫌われる清掃車のよごれにも、季節は万遍なくおくられています。ごみの山が、通る人へしめっぼくからみつくような、不潔臭を発散していれば、それは晩春です。化粧品や花の匂いが、室内にこころよく漂うのも晩春です。
 同じごみの山がきらきら光れば、初夏です。青葉若葉が微風にさざめいて、金色に輝くのと同じです。季節は今のものも昔のものも、きれいなものも汚ないものも、選り好みしませんし、時代がどんなに新しく進歩するからとて、それで四季が消滅することはありますまい。消えるかもしれないのは、昔の風物であって、四季ではないでしょぅ。
さて話を元に戻します。石油から珍しくも、春を待つという言葉がでてきて、その言葉から私はなにか改めて、自分はどのように季節と交際をしてきたか、とふり返ってみたのですが、その結果、質の点ではいい成績はもらえないけれど、長い間もちこたえてきたという点では、まあまあだという、ほのぼのした手応えがあったのです。平生は付合う気もないが、一度だけ、忘れがたい深い機縁をもった、というのも満足だろうと思いますが、私は平凡持続組で、いま手応えを得ています。
 ずいぶん小さい時から、季節に興をもちはじめました。生れつきも多少はあったかと思いますが、家人のコーチもあったようです。こまかくいえば、とにかく先ず第一に、わかる、ことが必要です。子供だから理屈ではわからず、五官でわかるのです。わかると面白いのです。それが季節との交際の、第一歩だということは、まだ小さいのですから、むろん自分ではわかりはしません。あとになって思えば、そうだった、と思います。
 霜柱を棒でつついていて転び、手をついてしまったので、手の平へ霜柱がそっくり貼りつき、そのつめたさと気色悪さでおびえたこと。炊きたてのご飯をおはちに移すために、蓋を取ったその瞬間に、もうっと立った湯気の濃さをみたこと。霜柱は目と手で印象をつかみ、湯気は目だけで知った冬です。ただ、その事柄におぼえはありますが、何歳の時の印象なのかは、自分では知りません。しかしその時いたおもとさんというひとが、のちに数えの六歳だったと教えてくれました。
 この翌年、母を失っています。四月八日で、満開の桜が散って、きれいだったのをおぼえています。ここから急に記憶がふえてきます。私がものをおぼえる年に育ってきたせいもあり、父親が面倒をみてくれたせいもあります。玩具の少なかった時代ですし、たぶん私のがさつな性質を案じもしたのでしょう、目の前のなんでもから、美しさ、おもしろさを見付け出す指導をしてくれたのです。
 たまたまがま蟇(がま)がはげしい夕立の中へ出てくれば、それを指してくれます。ことさらに季節をいわなくても、夕立にたたかれても平気なおかしさを見れば、自然蟇の季節を知ったことになります。何度かそんなコーチをうけているうちになれて、私はけっこう自分一人でたのしみを漁るようになりました。
 そうしたいわば、一人で楽しむことへ向いていったのは、性質も住宅環境も、コーチのあったせいもありますが、母を失った不幸な家庭状況も、大きい原因になっていると思います。不仕合せも不仕合せだけには終らず、不仕合せを下敷にして、季節を楽しむ仕合せを得たといえます。
 ただしかし、その楽しみを子供の日から老後まで、持ち続けてきたのには、やはりいくらか自分も努力しています。病気だの貧乏だの多忙だの、失意の時はのんきくさい季節のたのしみなどは、ほんとに消え消えになってしまいますが、つとめて辛うじて「不仕合せの上に培ったこのささやかな慰めではないか」と思い返し、ほんのひととき雲を梢を、雀のかげを眺めていたことがあります。季節を楽しむなどは、ほんの些細なことですが、その些細なことにしろ、長年持続させるとなれば、態度を問われることもしばしばです。
 こんなあやふやな経過なのですが、とにもかくにも今日まで季節と付合ってきて、さてふり返ってみると、質では点がかけられませんが、長年続けてきたという、重味のある手応えが感じられ、ほのかに心なぐさみます。たぶん終りまで、季節とはつきあい遂げることかと思います。コーチしてくれた父親には感謝ですし、若死した母親には、季節を置土産にしてくれたのだろう、となつかしく思います。そしてさて、本尊のその季節になにを思うかというと、養われた、という感じです。情感を養ってもらった、と思っています。本来の私よりも、季節が私を優しくしてくれているようです。
 なによりも有難いのは、前向きの心でいられることでしょうか。季節というのは、常に一所にとどまっていない性格をもっています。滞留することがないのです。先へ先へと変っていきます。今朝の雲はもう居ません。その代り次の風が訪れてくれます。昨日の蕾は今日はもう花です。その花が散れば、すでに実が生れています。いつも変り続け、常に新しく進みます。
 だからいつ迄も季節は新鮮ですし、老いをみせません。季節に連立とうとすれば、私もひとりでに前むきになっているわけです。これはうれしいことです。身が老いれば心もかがんで、とかく前向きに行くのはおっくうになりがちですが、私は季節に引っ張られているので、どうやら過去への沈没はまぬかれ、今年の春、夏とは、どんなふうに巡りあえるかと、先へ目を置いて待っています。
 石油さわぎも、悪くありません。今年の寒は相当こたえましたけれども、私にはこれでよかったという、ほのかな心のめぐみが点じられていて、とにかく無事にしのぎました。杉の菓はまだ霜に焼けていて茶褐色です。しかし越年のたんぽぽは、もう芽をあげています。

 

*幸田文=明治37年生まれ父は幸田露伴。

あなたの季節には何が見えていますか?

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