はじめに

「小出兼久の常盤坐から世界を読む」は、ランドスケープアーキテクトとして、計画、都市計画の歴史の中で、多くのプロジェクトのデザイナーから、敷地の生態学的プロセスや文化的実践に合った適応戦略として、共通の課題であるユニークな計画と設計の課題に取り組んでいる事を学んできた。それらが提示したエコロジーな知恵と独創的な解決策は、今日のプラクティショナー( (専門職・特殊技能を要する職業などの)にはまだ関連していないと言われる。

しかし、これらの初期プロジェクトの設計者は、現在のますます複雑な持続可能性の問題に圧倒される可能性がある。今日、ランドスケープアーキテクトとプランナーは、変化する気候のために「回復力」のある景観を提供し、急速な都市化に取り組み、自然災害への適応を計画し、劣化した都市部の生態学的復元を実施するなどの課題に直面している。しかし、多くの重要な質問は未回答のままである。そのため、初期のプロジェクトに存在する生態学的知恵は知識を行動に結びつけ、現代的な設計と実施にどのように役立つべきかである。ランドスケープアーキテクトと都市計画者は、先例からの知恵の蓄積から恩恵を受け、ケーススタディは最良の管理を伝える強力な方法を提示しなければ、人為的な使用や介入は、自然のプロセスの不可欠な部分になるはずでる。

つまり、イノベーションとは理論的な分析であるとともに知覚的な認識である。イノベーションを行うにあたっては、外に出、見、問い、聞かなければならない。

近代文明はデカルト以来、因果関係と定量化を駆使する一方において、その呪縛に囚われてきた。近代合理主義としてのモダンの時代は、知覚の世界の存在を否定はしなくとも、進歩とは関係ないこととした。そしてそのおかげで科学技術も進歩した。だがイノベーションは分析だけで行うことはできない。そもそもイノベーションに対する社会のニーズは分析では知りえない。ドラッカーは、イノベーションの成果が、やがてそれを使うことになる人たちの期待、価値、ニーズにマッチしうるかは知覚によってのみ知りうるという。そうして初めて、それを使うことになる人たちが利益を見出すには何が必要かを考えられるようになる。これを考えられなければ、せっかくのイノベーションも間違ったかたちで世に出る。かくしてイノベーションこそポストモダンたるべき活動であり、機能である。