Vol.135 「リサ・シンプソン」環境活動の30年

常盤のマドンナ(本名はリサ・マリー・シンプソン(Lisa Marie Simpson)。シンプソン家の第二子の長女で、8歳(関連書籍やゲーム作品によっては7歳)の小学2年生)。
 
ほぼ常識的で賢く一家の行動にいらつくこともしばしば。特に父親であるホーマーとはなかなかうまが合わず、父子関係にひびが入るときもある。だがかなり子供っぽい一面も多く、テレビが大嫌いといっていたはずなのに「イッチー&スクラッチー」を毎回見ていたり、バートと一緒に何かをねだったりすることも多い。成績はほぼ毎回Aでクラスで一番頭もいいのだが、シンプソン家の経済状況から私立の進学校にはいけない。また、成績は彼女にとってのアイデンティティらしく、Bの評価があった際に、目くじらを立てて先生に抗議したことも。バリトンサックスを吹くのが好きで、将来の夢はプロのジャズミュージシャン。願いは世界平和とポニーを飼うこと。
 
友達がいないことが悩みである。主な原因は子供としては理知的過ぎて融通がきかず、周囲から浮いてしまうこと。早い話がKY。稀に話が合う子が現れても、逆に全ての面でリサより優れていて結局は軋轢が生じたりする。本人の自覚は薄いが実はかなり器量が良く、ミルハウス以外にも男子が好意的に接してくる場面はままある。
 
エコロジストでありアニマルライツ系のベジタリアンでもある。現在は仏教徒であるが、当初は敬虔なクリスチャンだった(劇中に出演したある人物との出会いがきっかけ)。学校に行かないと禁断症状を起こす。未来の話ではアメリカ初のレズビアンではない女性大統領になっている。スプリングフィールドメンサに入会している。
金平糖のような髪形をしているが、作中ではショートヘアと言われている。シンプソン家で唯一特定の口癖は無いが、最近のエピソードでは母マージの「ん〜」や父ホーマーの「ドォッ!」を発する、また他のシンプソンファミリーと同じく自分の脳みそともよく会話する傾向がみられる。
 
1)「リサはザベジタリアン」 リサは、肉を愛する父親や学校の友人たちが、動物愛好家で子羊とふれあい、菜食主義者になることに決めたとき、自分自身を嘲笑している。 しかし、ApuとPaulとLinda McCartneyの助けを借りて、彼女は新たな菜食主義を受け入れ、他者の選択を尊重することを学ぶ。
 
 2)「沼地と鯨」150フィートのクジラが泳ぐとき、リサはそれをブルーアラと名づけ、それを世話し、その側にとどまり、夜に詩を読む。クジラは悲しいことに死にますが、リサはサメから2頭の子牛を救うことができます。 Bluellaは後にLisaの多くの “迷惑な”環境嘆願の一例としてQuimby市長によって参照されました。
 
3)「リサ・ツリーハガー」ハンサムな活動家のために落ちた後、リサは、彼の環境運動とボランティアに参加し、カットされる予定のスプリングフィールドの古木の枝に住む。 しかし、木が雷に襲われ、豊かなテキサスの森にテーマパークを建設することを決めたとき、計画通りに行かない。 リサはもちろん声を上げて抗議を率いて、その日を助ける。
 
4)「老人とリサ」リサは、バーンズが環境上の手段で自分の財産を取り戻すのを手助けするために、自分自身に取り掛かかる。インスパイアされ、彼は「リトル・リサ・リサイクル工場」を創設し、それは実際にリサイクルされたプラスチックを使って海を空にし、動物の肉をスラリーとして売る。バーンズは1億2,000万ドルの工場の10%をリサに提供しているが、それがどこから来たのかを知ることはできない。
 
5)「スカイ・ミー・ザ・スカイ」リサが天文学に焦点を当てたとき、彼女はすぐにスプリングフィールドの光汚染の問題に取り組んでいます。絶望的に、 彼女はバートと協力して原子力発電所に過負荷をかけ、大量の停電を起こす。群衆は集まり町民は怒っている。流星群の美しさに畏敬の念を抱いている。
 
6)「シンプソンズムービー」最初の唯一のシンプソンズの特集は、リサが自分の環境運動を続けていることを見て、スプリングフィールドの人々が激しく汚染された湖をきれいにすることを納得させる。 ホーマーが湖で豚の老廃物をサイクロンで捨て、環境保護庁(EPA)が巨大なドームの中に町を閉じ込めた後、当然家族のために物事がうまくいかない。
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Kanehisa.Koide について

2005年55歳の春、東京の街を離れた。 人間の利害関係は、特に目先の欲にかけては、それこそすばしっこい者が多いが、自分を大成するのに役立つ貴重な問題を捕えたり、自分に潜在している大切な能力を発揮する段になると、案外鈍な者のように振る舞うが二枚舌を持つ。 時々見かける人物で、朝起きて新聞を見ても、さほど深刻でないニュースの活字が並ぶ記事を特に珍しくもないスキャンダルや政治家の揚げ足取りには我先にとお題目のように唱える。ついでに汚職に賄賂は、傲慢な企業と政治家の特権と問題をすり替える。どこにいても、隣近所の挨拶もせぬ社会の中で、集団では行動をとり、またすぐ引く。もっと人間の根源に関わる大切な言葉などとは程遠い社会の中で生きていく。 最近の若い者は、イベントは細目に見に行くが、親の顔はめったに見に行かない。つまらぬ「問題小説」は買いに走るが、良書を教えてもなかなか買いに行く暇がないと言う。愚劣なことには頭も体もよく働かせるが、貴重なことにはとんと怠慢なのが世の常である。 さて、今日も一日元気でいることが何より。本音で語るも、本音で生きていきたいと願い、空を見上げてお天道様と相談である。
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